「ぼんてん」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→梵天) |
(→梵天) |
||
(同じ利用者による、間の3版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
=梵天= | =梵天= | ||
− | <big>brahmā</big> (S) | + | <big>brahmā ब्रह्मा</big>(S) |
[[ヴェーダ]]祭祀の根本原理たる中性的ブラフマン([[ぼん|梵]])はヴェーダ時代後期より男神ブラフマーの形をとり、プラジャーパティ神(prajaapati、創生主)にとってかわるようになる。[[ひんどぅーきょう|ヒンドゥー教]]では破壊・維持を司る[[シヴァ]]、[[ヴィシュヌ]]に対し生成の神として重んぜられるが、他の2神ほどの勢力は持たない。 | [[ヴェーダ]]祭祀の根本原理たる中性的ブラフマン([[ぼん|梵]])はヴェーダ時代後期より男神ブラフマーの形をとり、プラジャーパティ神(prajaapati、創生主)にとってかわるようになる。[[ひんどぅーきょう|ヒンドゥー教]]では破壊・維持を司る[[シヴァ]]、[[ヴィシュヌ]]に対し生成の神として重んぜられるが、他の2神ほどの勢力は持たない。 | ||
8行目: | 8行目: | ||
なお、梵天の住する[[しきかい|色界]]の初禅天、大梵天・梵輔天・梵衆天の総称ともする。遺例に、東大寺[[さんがつどう|三月堂]]の[[かんしつぞう|乾漆像]](奈良時代)、[[とうしょうだいじ|唐招提寺]]金堂像(木造、奈良時代)、[[きょうおうごこくじ|教王護国寺]]講堂像(木造、平安前期)などがある。 | なお、梵天の住する[[しきかい|色界]]の初禅天、大梵天・梵輔天・梵衆天の総称ともする。遺例に、東大寺[[さんがつどう|三月堂]]の[[かんしつぞう|乾漆像]](奈良時代)、[[とうしょうだいじ|唐招提寺]]金堂像(木造、奈良時代)、[[きょうおうごこくじ|教王護国寺]]講堂像(木造、平安前期)などがある。 | ||
+ | |||
+ | [https://toshodaiji.jp/img/garan/kondoh/houmotsu09.jpg 梵天・帝釈天立像@唐招提寺] | ||
wikipediaの梵天 [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E5%A4%A9] | wikipediaの梵天 [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E5%A4%A9] |
2024年4月8日 (月) 11:31時点における最新版
梵天
brahmā ब्रह्मा(S)
ヴェーダ祭祀の根本原理たる中性的ブラフマン(梵)はヴェーダ時代後期より男神ブラフマーの形をとり、プラジャーパティ神(prajaapati、創生主)にとってかわるようになる。ヒンドゥー教では破壊・維持を司るシヴァ、ヴィシュヌに対し生成の神として重んぜられるが、他の2神ほどの勢力は持たない。
仏典では「梵天常童子」「梵天娑婆主」などが登場し、梵天は一般に帝釈天と並ぶ諸天の長の位を占める。仏に転法輪を勧めるいわゆる梵天勧請の物語は名高い。
『Brahma-saṃyuttaṃ』の第6編第1節に、「懇請」という経典があり、これがそれにあたる。ただし、同じ経典だが、伝える部派によって少しづつ違いがある。ノートにこの経典を入れておく。
なお、梵天の住する色界の初禅天、大梵天・梵輔天・梵衆天の総称ともする。遺例に、東大寺三月堂の乾漆像(奈良時代)、唐招提寺金堂像(木造、奈良時代)、教王護国寺講堂像(木造、平安前期)などがある。
wikipediaの梵天 [1]