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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(クシャーナ王朝)
 
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kuSaaNa、[[きそう|貴霜]]と音写する。
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 匈奴に追われた大月氏(だいげつし)は、紀元前130年頃バクトリアを占拠したが、その支配下にあったトカラ族の五翕侯(きゅうこう)の1人、貴霜は、紀元前後頃に大月氏にとってかわり、他の四翕侯を支配してクシャーナ王朝を創設した。<br>
 
 匈奴に追われた大月氏(だいげつし)は、紀元前130年頃バクトリアを占拠したが、その支配下にあったトカラ族の五翕侯(きゅうこう)の1人、貴霜は、紀元前後頃に大月氏にとってかわり、他の四翕侯を支配してクシャーナ王朝を創設した。<br>
 
 始祖クジューラ・カドフィセースはインダス河以西の地を支配し、ヴィマ・カドフィセースはサカスターナ、アラコシア、西部インドを併合した。
 
 始祖クジューラ・カドフィセースはインダス河以西の地を支配し、ヴィマ・カドフィセースはサカスターナ、アラコシア、西部インドを併合した。
  
 [[かにしか|カニシカ]]王はプルシャプラ(現在のペシャーワル)に都して、ガンガー河([[がんじす|ガンジス]]河)の中流、ヴィンドヤ山脈、カーティアーワール半島、[[かしゃがる|カシュガル]]、ヤルカンド、ホータンからアラル海にいたる地域を支配した。カニシカ、フヴィシカ、ヴァースデーヴァの仏教への寄進行為は顕著であった。ペルシアのササン王朝シャープール1世((在位)240-272)に滅ぼされた。
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 [[かにしかおう|カニシカ王]]はプルシャプラ(現在のペシャーワル)に都して、ガンガー河([[がんじす|ガンジス]]河)の中流、ヴィンドヤ山脈、カーティアーワール半島、[[かしゃがる|カシュガル]]、ヤルカンド、ホータンからアラル海にいたる地域を支配した。カニシカ、フヴィシカ、ヴァースデーヴァの仏教への寄進行為は顕著であった。ペルシアのササン王朝シャープール1世((在位)240-272)に滅ぼされた。

2020年5月13日 (水) 14:29時点における最新版

クシャーナ王朝

Kuṣāṇa貴霜と音写する。

 匈奴に追われた大月氏(だいげつし)は、紀元前130年頃バクトリアを占拠したが、その支配下にあったトカラ族の五翕侯(きゅうこう)の1人、貴霜は、紀元前後頃に大月氏にとってかわり、他の四翕侯を支配してクシャーナ王朝を創設した。
 始祖クジューラ・カドフィセースはインダス河以西の地を支配し、ヴィマ・カドフィセースはサカスターナ、アラコシア、西部インドを併合した。

 カニシカ王はプルシャプラ(現在のペシャーワル)に都して、ガンガー河(ガンジス河)の中流、ヴィンドヤ山脈、カーティアーワール半島、カシュガル、ヤルカンド、ホータンからアラル海にいたる地域を支配した。カニシカ、フヴィシカ、ヴァースデーヴァの仏教への寄進行為は顕著であった。ペルシアのササン王朝シャープール1世((在位)240-272)に滅ぼされた。