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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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的取三願ともいう。
 
的取三願ともいう。
  
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 [[どんらん|曇鸞]]の『[[じょうどろんちゅう|浄土論註]]』巻下に見える説。『[[じょうどろん|浄土論]]』には、[[ごねんもん|五念門]]の行を修めることによってすみやかに成仏するといわれているが、それは五念門によって浄土へ生まれ、浄土の菩薩として他を教化するから自利と利他とが完成するのによるとし、浄土往生によってすみやかに成仏する根拠を、阿弥陀仏の四十八願のうちの三願をとりだして証明したもの。<br>
 [[じょうどろん|浄土論]]には、[[ごねんもん|五念門]]の行を修めることによってすみやかに成仏するといわれているが、それは五念門によって浄土へ生まれ、浄土の菩薩として他を教化するから自利と利他とが完成するのによるとし、浄土往生によってすみやかに成仏する根拠を、阿弥陀仏の四十八願のうちの三願をとりだして証明したもの。
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 即ち'''第十八願'''によれば、念仏して往生するから迷いの世界に輪廻することがなく<br>
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 '''第十一願'''によれば浄土の衆生は[[しょうじょうじゅ|正定聚]]に住するから必ず[[めつど|滅度]](さとり)に至り堕落することがない。<br>
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 そして'''第二十二願'''によれば浄土の菩薩は一地より一地へと次第に進むことなく諸地の行を同時に修め、また利他の行を修める。
  
 '''第十八願'''によれば、念仏して往生するから迷いの世界に輪廻することがない。<br>
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 このように、往生のためにも往生の後の生活においてもすべて阿弥陀仏の本願力によるのであるから、すみやかに往生成仏することになるという。これによって往生の因である五念門と、往生してからの果である[[ごくどくもん|五功徳門]]のうちの前の四門および第五門とがいずれも[[ほんがんりき|本願力]]によることを、順次に三願をもって証明したのである。
 '''第十一願'''によれば浄土の衆生は正定聚(しょうじょうじゅ)に住するから必ず滅度(さとり)に至り堕落することがない。<br>
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 '''第二十二願'''によれば浄土の菩薩は一地より一地へと次第に進むことなく諸地の行を同時に修め、また利他の行を修める。このように、往生のためにも往生の後の生活においてもすべて阿弥陀仏の本願力によるのであるから、すみやかに往生成仏することになるという。
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 これによって往生の因である五念門と、往生してからの果である五功徳門のうちの前の四門および第五門とがいずれも本願力によることを、順次に三願をもって証明したのである。
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2025年5月2日 (金) 13:56時点における最新版

三願的証

的取三願ともいう。

 曇鸞の『浄土論註』巻下に見える説。『浄土論』には、五念門の行を修めることによってすみやかに成仏するといわれているが、それは五念門によって浄土へ生まれ、浄土の菩薩として他を教化するから自利と利他とが完成するのによるとし、浄土往生によってすみやかに成仏する根拠を、阿弥陀仏の四十八願のうちの三願をとりだして証明したもの。
 即ち第十八願によれば、念仏して往生するから迷いの世界に輪廻することがなく
 第十一願によれば浄土の衆生は正定聚に住するから必ず滅度(さとり)に至り堕落することがない。
 そして第二十二願によれば浄土の菩薩は一地より一地へと次第に進むことなく諸地の行を同時に修め、また利他の行を修める。

 このように、往生のためにも往生の後の生活においてもすべて阿弥陀仏の本願力によるのであるから、すみやかに往生成仏することになるという。これによって往生の因である五念門と、往生してからの果である五功徳門のうちの前の四門および第五門とがいずれも本願力によることを、順次に三願をもって証明したのである。