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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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'''浄土教以外での他力'''
 
 他者の力・自己以外の力。自力の反対語。
 
 他者の力・自己以外の力。自力の反対語。
 
:他力によって起こる慧を[[もんしょじょうえ|聞所成慧]]と名づけ、自力によって起こる慧を[[ししょじょうえ|思所成慧]]と名づけ、倶力によって起こる慧を[[しゅしょじょうえ|修所成慧]]と名づく。
 
:他力によって起こる慧を[[もんしょじょうえ|聞所成慧]]と名づけ、自力によって起こる慧を[[ししょじょうえ|思所成慧]]と名づけ、倶力によって起こる慧を[[しゅしょじょうえ|修所成慧]]と名づく。
 
:依他起自性とは、謂<、衆縁によって生じ、他力に依って起こるところの諸法の自性にして、自然有に非ざるが故に無性と説く。
 
:依他起自性とは、謂<、衆縁によって生じ、他力に依って起こるところの諸法の自性にして、自然有に非ざるが故に無性と説く。

2021年8月30日 (月) 15:25時点における版

他力

初期の概念

 自力の対。他の力。他人あるいは他のものの作用。〔『倶舎論』vol.21〕〈para-tantra (S)、mitrād āttā〉
 「依他力法」〈pāratantrya (S)〉

浄土教

 自力に対する語で、自己に備わった能力を使うことを「自力」、仏・菩薩などの働きを「他力」という。しかし、縁起を根本とする仏教の考えからすれば、自己の行為()はすべて「他力」と考えられる。そこで、すべての仏教宗派で「他力」は言われる。
 行に関して「自力」「他力」を区別する場合、上記の考えから行者の心構えの問題とされる。

他力とまふすことは、弥陀如来の御ちかひのなかに選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力とまふすなり。    〔『末灯鈔』〕
義無きを義とするが他力の講釈なり。行者のはからひのなきを他力と云ふ。此義が浄土真宗のしめくくりの義なり。    〔円乗院宣明述『教行信證講義』〕
  • なお、浄土宗・浄土真宗でいう他力本願とは根本的に異なった語であるので、注意が必要である。

他力

para-bala (S)

浄土教以外での他力  他者の力・自己以外の力。自力の反対語。

他力によって起こる慧を聞所成慧と名づけ、自力によって起こる慧を思所成慧と名づけ、倶力によって起こる慧を修所成慧と名づく。
依他起自性とは、謂<、衆縁によって生じ、他力に依って起こるところの諸法の自性にして、自然有に非ざるが故に無性と説く。