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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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:「必定の諸菩薩を念ず」とは、若し[[ぼさつ|菩薩]]は[[あのくたらさんみゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提]]の[[き|記]]を得て法位に入り[[むしょうぼうにん|無生法忍]]を得れば、千万億数の魔の軍衆も壊乱すること能わず、大悲心を得て大人法を成じ、身命を惜しまず菩提を得る為めに勤めて精進を行ず。是れを必定の菩薩を念ずと名づく。    〔〃〕
 
:「必定の諸菩薩を念ず」とは、若し[[ぼさつ|菩薩]]は[[あのくたらさんみゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提]]の[[き|記]]を得て法位に入り[[むしょうぼうにん|無生法忍]]を得れば、千万億数の魔の軍衆も壊乱すること能わず、大悲心を得て大人法を成じ、身命を惜しまず菩提を得る為めに勤めて精進を行ず。是れを必定の菩薩を念ずと名づく。    〔〃〕
 
 
 
 
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→[[しねんじょ|四念処]]

2024年8月17日 (土) 14:05時点における版

anusmarananusmṛti

 心に銘記し忘れないこと。憶念、随念ともいい、常に心に念じたもつこと、追憶、追念などを意味する。

常に諸仏と及び  諸仏の大法と  必定と希有の行とをず  是の故に歓喜多し    〔十住毘婆沙論〕

 

「必定の諸菩薩を念ず」とは、若し菩薩阿耨多羅三藐三菩提を得て法位に入り無生法忍を得れば、千万億数の魔の軍衆も壊乱すること能わず、大悲心を得て大人法を成じ、身命を惜しまず菩提を得る為めに勤めて精進を行ず。是れを必定の菩薩を念ずと名づく。    〔〃〕

  →四念処