操作

「げじんみっきょう」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(内容)
5行目: 5行目:
  
 
==内容==
 
==内容==
1)仏教の歴史を[[う|有]]・[[くう|空]]・[[ちゅう|中]]の三時に分けて、唯識は第三時の中道に相当すると説き、<br>
+
# 仏教の歴史を[[う|有]]・[[くう|空]]・[[ちゅう|中]]の三時に分けて、唯識は第三時の中道に相当すると説き、<br>
2)六識の奥に深層心理を考察する立場から[[あらやしき|阿頼耶識]]の存在を、<br>
+
# 六識の奥に深層心理を考察する立場から[[あらやしき|阿頼耶識]]の存在を、<br>
3)存在を三つの形態に分ける三自性・三無自性説を、<br>
+
# 存在を三つの形態に分ける三自性・三無自性説を、<br>
4)一切はただ心の現れにすぎないという「唯識」の考えを<br>
+
# 一切はただ心の現れにすぎないという「唯識」の考えを
 
初めて宣揚した。
 
初めて宣揚した。
  
 
:'''解深密経''' 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711
 
:'''解深密経''' 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711

2008年12月1日 (月) 17:01時点における版

解深密経

saMdhi-nirmocana-suutra

 唯識派の所依の経典の一つで、「唯識」思想を初めて説いたといわれる経典である。A.D.300年前後の成立とされる。

内容

  1. 仏教の歴史をの三時に分けて、唯識は第三時の中道に相当すると説き、
  2. 六識の奥に深層心理を考察する立場から阿頼耶識の存在を、
  3. 存在を三つの形態に分ける三自性・三無自性説を、
  4. 一切はただ心の現れにすぎないという「唯識」の考えを

初めて宣揚した。

解深密経 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711