「げじんみっきょう」の版間の差分
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:'''解深密経''' 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711 | :'''解深密経''' 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711 |
2008年12月1日 (月) 17:01時点における版
解深密経
saMdhi-nirmocana-suutra
唯識派の所依の経典の一つで、「唯識」思想を初めて説いたといわれる経典である。A.D.300年前後の成立とされる。
内容
- 仏教の歴史を有・空・中の三時に分けて、唯識は第三時の中道に相当すると説き、
- 六識の奥に深層心理を考察する立場から阿頼耶識の存在を、
- 存在を三つの形態に分ける三自性・三無自性説を、
- 一切はただ心の現れにすぎないという「唯識」の考えを
初めて宣揚した。
- 解深密経 5巻 唐・玄奘訳 大正大蔵経 No.676 第16巻 p.711