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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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『大唐南海寄帰内法伝』『南海寄帰伝』などとも呼ばれる。4巻、唐・[[ぎじょう|義浄]]著。[[たいしょうしんしゅうだいぞうきょう|大正蔵]] 第54巻
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『大唐南海寄帰内法伝』『[[なんかいききでん|南海寄帰伝]]』などとも呼ばれる。4巻、唐・[[ぎじょう|義浄]]著。[[たいしょうしんしゅうだいぞうきょう|大正蔵]] 第54巻
  
 
 義浄が南海の室利仏逝(zriivijaya)国にあって、インド遊学中に親しく見聞した[[びく|比丘]]・[[びくに|比丘尼]]の生活をまとめ、691年、中国での弘通(ぐずう)を願って大津禅師に託し長安に送った書である。<br>
 
 義浄が南海の室利仏逝(zriivijaya)国にあって、インド遊学中に親しく見聞した[[びく|比丘]]・[[びくに|比丘尼]]の生活をまとめ、691年、中国での弘通(ぐずう)を願って大津禅師に託し長安に送った書である。<br>

2007年12月4日 (火) 09:54時点における最新版

南海寄帰内法伝

『大唐南海寄帰内法伝』『南海寄帰伝』などとも呼ばれる。4巻、唐・義浄著。大正蔵 第54巻

 義浄が南海の室利仏逝(zriivijaya)国にあって、インド遊学中に親しく見聞した比丘比丘尼の生活をまとめ、691年、中国での弘通(ぐずう)を願って大津禅師に託し長安に送った書である。
 本文は40章からできており、食事・洗浴の作法をはじめ修行の実際、師資(師弟)の道などがおさめられている。

 義浄はもっぱらナーランダー寺(那爛陀寺)にいたが、「大乗は中観瑜伽の2派で、菩薩を礼拝し大乗経を読むが、生活のありようは小乗とさほど変わらない」と伝えている。