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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(實叉難陀)
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zikSaananda (skt.)、652-710年。学喜と訳すこともある。
 
zikSaananda (skt.)、652-710年。学喜と訳すこともある。
  
 [[うてん|于闐]]国の人。『[[けごんきょう|華厳経]]』の[[ぼんぽん|梵本]]を[[らくよう|洛陽]]に請来し、則天武后の命により、[[ぼだいるし|菩提流志]]、[[ぎじょう|義浄]]とともに訳出した(695-699年)。このとき[[けごんしゅう|華厳宗]]の[[ほうぞう|法蔵]]が[[ひつじゅ|筆受]]の任にあたっている。<br>
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 [[うてん|于闐]]国の人。『[[けごんきょう|華厳経]]』の梵本を[[らくよう|洛陽]]に請来し、則天武后の命により、[[ぼだいるし|菩提流志]]、[[ぎじょう|義浄]]とともに訳出した(695-699年)。このとき[[けごんしゅう|華厳宗]]の[[ほうぞう|法蔵]]が[[ひつじゅ|筆受]]の任にあたっている。<br>
 
 このときに訳されたのが、新訳の『八十巻華厳経』である。法蔵『華厳経伝記』や『[[かいげんろく|開元録]]』によれば、その後、『[[りょうがきょう|入楞伽経]]』(七巻楞伽)、『[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]』2巻、『摩訶般若随心経(まかはんにゃずいしんきょう)』1巻など、計19部107巻を訳したという。
 
 このときに訳されたのが、新訳の『八十巻華厳経』である。法蔵『華厳経伝記』や『[[かいげんろく|開元録]]』によれば、その後、『[[りょうがきょう|入楞伽経]]』(七巻楞伽)、『[[だいじょうきしんろん|大乗起信論]]』2巻、『摩訶般若随心経(まかはんにゃずいしんきょう)』1巻など、計19部107巻を訳したという。
  

2009年1月1日 (木) 16:18時点における版

實叉難陀

zikSaananda (skt.)、652-710年。学喜と訳すこともある。

 于闐国の人。『華厳経』の梵本を洛陽に請来し、則天武后の命により、菩提流志義浄とともに訳出した(695-699年)。このとき華厳宗法蔵筆受の任にあたっている。
 このときに訳されたのが、新訳の『八十巻華厳経』である。法蔵『華厳経伝記』や『開元録』によれば、その後、『入楞伽経』(七巻楞伽)、『大乗起信論』2巻、『摩訶般若随心経(まかはんにゃずいしんきょう)』1巻など、計19部107巻を訳したという。

704年(長安4)ホータンの老母を見舞うために帰国したが、
708年(景竜2)ふたたび至り、大薦福寺に住した。

参考

『開元釋経録』巻9