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 中国江南の教学によりながら註釈がなされており、[[とんこう|敦煌]]本『勝鬘経義疏』によるか、共通の参考書によって著されたと考えられる。
 
 中国江南の教学によりながら註釈がなされており、[[とんこう|敦煌]]本『勝鬘経義疏』によるか、共通の参考書によって著されたと考えられる。
  
 最初に大意を述べ、勝鬘夫人(ぶにん)は本来は如来の分身か法雲の大士であるが、阿踰闍(あゆじや)国の人を教化するために女性のすがたを現したと説き、インドに生れ悟りをひらいた[[しゃくそん|釈尊]]だけを[[ぶつ|仏]]と見る[[さんじょう|三乗]]の教えを否定し、仏は永遠なものであることを表す[[いちじょう|一乗]]の教えを経の本質とするという。
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 最初に大意を述べ、[[しょうまん|勝鬘]][[ぶにん|夫人]]は本来は如来の分身か法雲の大士であるが、阿踰闍(あゆじゃ)国の人を教化するために女性のすがたを現したと説き、インドに生れ悟りをひらいた[[しゃくそん|釈尊]]だけを[[ぶつ|仏]]と見る[[さんじょう|三乗]]の教えを否定し、仏は永遠なものであることを表す[[いちじょう|一乗]]の教えを経の本質とするという。

2009年7月7日 (火) 02:38時点における最新版

勝鬘経義疏

聖徳太子撰と伝える『勝鬘経』の註釈書。1巻

 三経義疏の一つ。

 中国江南の教学によりながら註釈がなされており、敦煌本『勝鬘経義疏』によるか、共通の参考書によって著されたと考えられる。

 最初に大意を述べ、勝鬘夫人は本来は如来の分身か法雲の大士であるが、阿踰闍(あゆじゃ)国の人を教化するために女性のすがたを現したと説き、インドに生れ悟りをひらいた釈尊だけをと見る三乗の教えを否定し、仏は永遠なものであることを表す一乗の教えを経の本質とするという。