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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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:[[ぜんあく|善悪]]に「'''無記'''」に関する詳しい説明がある。
 
:[[ぜんあく|善悪]]に「'''無記'''」に関する詳しい説明がある。
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=無愧=
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anapatrapaa、anapatraapya (S)
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 恥じる心のないこと。破廉恥なこと。他人に対して恥じないこと。「[[ざんき|愧]]」とは逆の心作用である。<br>
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 [[ゆいしき|唯識]]では、20随煩悩の一つ。
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:無愧心をもって恐怖と為す。外に羞恥なく、恩を棄て徳に背けり。    〔大乗本生心地観経 T3-318c〕
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:無愧と云は世間の見聞にも恥じずして諸の罪を崇むる心也。    〔唯識大意〕

2016年11月11日 (金) 14:58時点における版

無記

avyaakRta (skt.)

 あらゆるものを倫理的観点から善と悪、そのどちらでもないものの三者に分ける場合の、どちらでもないものを「無記」という。これに「有覆無記」(煩悩のけがれのある)と「無覆無記」(煩悩のけがれのない)の二つがある。

十四無記

 「無記答」「捨置記」ともいう。
 釈尊が他の思想家達から世界の常・無常、有限・無限、霊魂と身体との同異、死後の生存の有無など14の形而上学的質問を受け、論争を挑まれたが、沈黙を守って答えなかったことをいう。

善悪に「無記」に関する詳しい説明がある。

無愧

anapatrapaa、anapatraapya (S)

 恥じる心のないこと。破廉恥なこと。他人に対して恥じないこと。「」とは逆の心作用である。
 唯識では、20随煩悩の一つ。

無愧心をもって恐怖と為す。外に羞恥なく、恩を棄て徳に背けり。    〔大乗本生心地観経 T3-318c〕
無愧と云は世間の見聞にも恥じずして諸の罪を崇むる心也。    〔唯識大意〕