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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(鹿野苑)
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 [[しゃくそん|釈尊]]が[[じょうどう|成道]]の後、5人の修行者に最初に説法([[しょてんぽうりん|初転法輪]])した地のこと。
 
 [[しゃくそん|釈尊]]が[[じょうどう|成道]]の後、5人の修行者に最初に説法([[しょてんぽうりん|初転法輪]])した地のこと。
  
 「リシ・パタナ」(聖仙の住むところ)とも呼ばれることがある。[[ガンジス]]河中流域にある[[ヒンドゥー]]教の聖地[[ベナレス]](ヴァラナシ)市の北東約7キロメートルにあり、現在のサールナートのこと。西暦前3世紀の[[マウリヤ]]王朝から12世紀のパーラ王朝に至るまでのストゥーパ([[とう|塔]])、[[そういん|僧院]]の遺構が出土して、インドの国標とされるライオン像、刻文を有するアショーカ王([[あいくおう|阿育王]])建立の石柱がある。
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 「リシ・パタナ」(聖仙の住むところ)とも呼ばれることがある。[[ガンジス]]河中流域にある[[ヒンドゥー]]教の聖地[[ベナレス]](Bārāṇasī; ヴァーラーナシー)市の北東約7キロメートルにあり、現在のサールナート(Sārnāth)のこと。西暦前3世紀の[[マウリヤ]]王朝から12世紀のパーラ王朝に至るまでのストゥーパ([[とう|塔]])、[[そういん|僧院]]の遺構が出土して、インドの国標とされるライオン像、刻文を有するアショーカ王([[あいくおう|阿育王]])建立の石柱がある。<br>
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 7世紀に玄奘が訪れた時には、壮大な伽藍があり、僧1,500人が居住していたと記録されている。
  
 
:日本では「鹿苑」を「かせぎのその」と訓読して、釈教歌(しゃっきょうか)や法文歌(ほうもんか)に出てくることがある。
 
:日本では「鹿苑」を「かせぎのその」と訓読して、釈教歌(しゃっきょうか)や法文歌(ほうもんか)に出てくることがある。

2023年9月7日 (木) 14:11時点における最新版

鹿野苑

Mṛgadāva (S) Migadāya (P) 略「鹿苑」

 釈尊成道の後、5人の修行者に最初に説法(初転法輪)した地のこと。

 「リシ・パタナ」(聖仙の住むところ)とも呼ばれることがある。ガンジス河中流域にあるヒンドゥー教の聖地ベナレス(Bārāṇasī; ヴァーラーナシー)市の北東約7キロメートルにあり、現在のサールナート(Sārnāth)のこと。西暦前3世紀のマウリヤ王朝から12世紀のパーラ王朝に至るまでのストゥーパ()、僧院の遺構が出土して、インドの国標とされるライオン像、刻文を有するアショーカ王(阿育王)建立の石柱がある。
 7世紀に玄奘が訪れた時には、壮大な伽藍があり、僧1,500人が居住していたと記録されている。

日本では「鹿苑」を「かせぎのその」と訓読して、釈教歌(しゃっきょうか)や法文歌(ほうもんか)に出てくることがある。