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2022年8月13日 (土) 12:20時点における最新版
目次
徳性、仏の徳性
仏の称号はすべて仏のすぐれた徳性(guṇa, dharma)を表わすが、経典には十八不共仏法(āveṇika-buddhadhalma)などの定型的表現がある。
十八不共仏法とは古くは十力,四無所畏,三念住,大悲(mahākaruṇā)を合わせたもので、それらが声聞や独覚にはない(共通しない=特有)という意味で不共仏法という。大乗では十力などのほかに、独立した十八項をあげる。
(1)十力(daśabala)
- 処非処智力(sthānāsthāna-jñābala、道理・非道理をわきまえる力)
- 業異熟智力(karmavipāka-jñābala、業とその果報を知る力)
- 種々勝解智力(nānādhimukti-jñābala、衆生の種々の意向を知る力)
- 種種界智力(nānādhātu-jñābala、衆生の種界の性向を知る力)
- 根上下智力(indriyaparāpara-jñābala、衆生の機根の上下を知る力)
- 遍趣行智力(sarvatragāminīpratipaj-jñābala、あらゆる処にいたる実践の道を知る力)
- 静慮解脱等持等至智力(sarvadhyānavimokṣasamādhisamāpattisaṃkleśavyavadānavyutthāna-jñābala、あらゆる禅定によって、雑染と清浄を超えでることを知る力)
- 宿住随念智力(pūrvanivāsānusmṛti-jñānabala、過去世のことを記憶する知力)
- 死生智力(cyutyupapatti-jñābala、未来の死生を知る力)
- 漏尽智力(āsravakṣaya-jñānabala、 *煩悩の滅尽を自覚する力)。
これはすべて智を本質とする。最後の三は宿命通、天眼通、漏尽通の三明にあたる.
(2)四無所畏(caturvaiśāradya)
- 諸法現等覚無畏(sarvadharmābhisambodhivaiśāradya、一切法を悟る点で畏れをもたない)
- -切漏尽智無畏(sarvāsravakṣayajñāna-vaiśāradya、すべての煩悩の断絶を知る点で無畏である)
- 障法不虚決定授記無畏(antarāyikadharmānanyathātvaniścitavyākaraṇa-vaiśāradya、 修行の障げとなるものはまちがいなく説き已った点で無畏である)
- 為証一切具足出道如性無畏(sarvasaṃpadadhigamāya nairyāṇikapratipat-tathātva-vaiśāradya、すべての完成に達すべく,出離道の真如を説く点で無畏である)
以上は、獅子が百獣の前で畏れずに獅子吼するごとく、煩悩を断じ、悟りを得た仏が説法にあたって無畏であることをいう。
(3)三念住(smṛty-upasthāna)
仏は
- 衆生が仏を信じても喜心を生せず、
- 仏を信じなくとも憂悩を生せず、
- あるものは信じ、あるものは信じなくても歓喜も憂慮もせず、
つねに正念正智に安住する。
(4)大悲
仏の衆生を悟りに導びこうとして法を説く慈悲の力。これに三十二種を数えることがある。
(5)大乗の十八不共仏法
1~3.身口意の三業についてそれぞれ過失なく(nāsti skhalitam)粗暴の言なく(nāsti ravitam)失念がない(nāsti muşitasmṛtitā)
4.不安心(asamāhitacitta)
5.種々想(nānātvasaṃjñā)
6. 知らずして無関心であること(apratisaṃkhyāyopekşā)がない
7~12.欲(chanda)、精進(vīrya)、念(smṛti)、定(samādhi)、慧(prajñā)、解脱(vimukti)について減退(hāni)がない
13~15. 一切の身口意の業が、智にもとづき、智に随ってはたらく(sarvakayakarma-, sarvavākkarma-, sarvamanaskarma-jñānapūrvaṃgamaṃjñānānuparivarti)
16~18.過去・未来・現在の三世において、無染着、無障礙なる知見がはたらく(atite 'dhvani, anāgate 'dhvani, pratyutpanne 'dhvany asaṃgam apratihataṃ jñānadarśanaṃ pravartate)。
このほか、
- 四不護(如来は身口意と命に関して清浄で、清浄ならざることは現われない)
- 四無礙解(法と義と語と弁舌に関して、完全に了知している、 pratisaṃvid)
- 六神通(天眼、天耳、他心、宿住、如意、漏尽、という六種の超能力、abhijñā)
- 三示導(神通 ṛddhi、説法 ādeśanā、教誡 anuśāsanāに関する奇蹟の示現、prātihārya)
などが、その智と悲にもとづく能力としてあげられる。
また、仏は戒(śīla)、定、慧、解脱、解脱知見(vimuktijñāna-darśanā)という無漏の五蘊を体とするともいわれる。
また、その身体(色身)の特徴として三十二大人相(mahāpuruṣa-lakṣaṇa)や八十種好(anuvyañjana、随好)が説かれ(合わせて相好という)それらを組みあわせて百四十不共仏法などと呼ばれる場合もある。三十二相は経典によって一定しないが、肉髻(uşṇīśa)とか眉間白毫などをはじめとし、仏像製作にあたって重要な特徴を含んでいる。なお三十二相は仏あるいは転輪聖王が有する相とされる。