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軽安の心所と云は身も心も安く覚えて心うれしき也、此心所は常の時に起らず定に入りたる時に起る也。〔唯識大意、本14〕 | 軽安の心所と云は身も心も安く覚えて心うれしき也、此心所は常の時に起らず定に入りたる時に起る也。〔唯識大意、本14〕 |
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輕安
praśrabdhu (S)
身心が柔軟で軽やかなこと。軽く安らかで、堪えうること。安堵。適応性。事を行なうに当たっての心の巧みさ。
アビダルマ
心作用の一つ。身心を軽快安適ならしめ、善事をなすことができるようにする心所法。惛沈の反対語。『倶舎論』では大善地法の一つ。
唯識
唯識論では善の一つ。安慧(Stiramati)は身心の適応性(kāya-citta-karmaṇyatā)と解する。〔成唯識論、T31,30b〕〔瑜伽師地論、T30,280b〕
「身心軽安」prasrabdhi
軽安の心所と云は身も心も安く覚えて心うれしき也、此心所は常の時に起らず定に入りたる時に起る也。〔唯識大意、本14〕