「ごさいだんしんめいしょ」の版間の差分
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内容は、新義派(三業派)の異解が、「たのむ一念」の語に対する誤った理解にもとづくことを明らかにし、信心のすがたとして[[にしゅじんしん|二種深信]]を引いて願力にまかせきる心であることを詳しく説示している。また誤りと知って誤るものはないので、すぐれた師の指南によるべきことを説くなど、懇切丁寧な教示となっている。<br> | 内容は、新義派(三業派)の異解が、「たのむ一念」の語に対する誤った理解にもとづくことを明らかにし、信心のすがたとして[[にしゅじんしん|二種深信]]を引いて願力にまかせきる心であることを詳しく説示している。また誤りと知って誤るものはないので、すぐれた師の指南によるべきことを説くなど、懇切丁寧な教示となっている。<br> | ||
− | + | ほぼ同時に出された『[[ごさいだんのごしょ|御裁断御書]]』もほとんど同内容であるが、本書との関係は定かではない。<br> | |
超然の『反正紀略』には『御裁断書』として本書の文を挙げ、『御裁断写』として『御裁断御書』の文を挙げている。 | 超然の『反正紀略』には『御裁断書』として本書の文を挙げ、『御裁断写』として『御裁断御書』の文を挙げている。 |
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御裁断申明書
本願寺19代本如の消息。
本願寺派最大の安心上の騒動である三業惑乱に教義上の決着をつけたもの。文化3年(1806)11月5日に出された。
内容は、新義派(三業派)の異解が、「たのむ一念」の語に対する誤った理解にもとづくことを明らかにし、信心のすがたとして二種深信を引いて願力にまかせきる心であることを詳しく説示している。また誤りと知って誤るものはないので、すぐれた師の指南によるべきことを説くなど、懇切丁寧な教示となっている。
ほぼ同時に出された『御裁断御書』もほとんど同内容であるが、本書との関係は定かではない。
超然の『反正紀略』には『御裁断書』として本書の文を挙げ、『御裁断写』として『御裁断御書』の文を挙げている。