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+ | # 無生法忍 無生の実性を覚って諸相を離れるもの。これが究極のさとりである。 | ||
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+ | [[ぜんどう|善導]]の説いた三忍。[[かんむりょうじゅきょう|観無量寿経]]の中で、[[いだいけ|韋提希]]夫人が得た無生法忍を解釈して、以下の三忍を説く。 | ||
+ | # 喜忍 阿弥陀仏を念じて歓喜心を生ずるもの。 | ||
+ | # 悟忍 阿弥陀仏を念じて真理を悟解するもの。 | ||
+ | # 信忍 阿弥陀仏を念じて正信に住するもの。 | ||
+ | :この喜に因るが故に無生の忍を得る。亦喜忍と名づけ、亦悟忍と名づけ、亦信忍と名づける。 『観経序分義』二 |
2006年1月25日 (水) 09:58時点における版
人
manuSya,nara,puruSa;pudgala
ひと。五趣・六道・十界の中にあり、輪廻する存在。manuSya、nara、puruSaなどは、動物や神など他の生命体と区別される「人類」「ひと」の意味である。
人法という時の「人」(pudgala)は、個人の存在のことで、それの構成要素である法(dharma)に対立して考えられたものである。
なお,漢語の「人間」(じんかん)は「世間」「この世」の意味であり、中国古典では真なる世界に対する俗世間という語感をもっている。
人界
人界(にんかい)は人間の住む世界の意で、十界の一つ。
忍
kSaanti
1. 「忍耐」のことである。忍辱ともいう。六波羅蜜の1つで、誹謗されたり迫害を受けたりする危難や侮辱に対して、心を動かすことなく耐え忍ぶことである。
- いかんが「忍」と名づくや。自ら憤勃なく、他の怨に報いず。故に「忍」と名づく 『瑜伽論』
- 忍とは、無瞋と精進と審慧とおよび彼に起るところの三業をもって性と処す 『唯識論九』
2. 「忍可」の意味で、道理に安住して心を動かさないことを言う。 この意味で使う時の「忍」は、修行道について言われる。
二忍
- 衆生忍 一切衆生が不順・不悩。たとえ他から種々の害を加えられても、よく忍耐して瞋らず報いないこと。
- 無生法忍 無生の法理に安住して心を動かさないこと。
三忍
『無量寿経において、極楽に往生する人は七宝樹林の音声を聞いて三種の「忍」を得る。
- 音響忍 音響によって真理を悟解することがあるもの。
- 柔順忍 慧心柔軟で、よく真理に随順するもの。
- 無生法忍 無生の実性を覚って諸相を離れるもの。これが究極のさとりである。
善導の説いた三忍。観無量寿経の中で、韋提希夫人が得た無生法忍を解釈して、以下の三忍を説く。
- 喜忍 阿弥陀仏を念じて歓喜心を生ずるもの。
- 悟忍 阿弥陀仏を念じて真理を悟解するもの。
- 信忍 阿弥陀仏を念じて正信に住するもの。
- この喜に因るが故に無生の忍を得る。亦喜忍と名づけ、亦悟忍と名づけ、亦信忍と名づける。 『観経序分義』二