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にん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

manuṣya,nara,puruṣa;pudgala

 ひと。五趣六道十界の中にあり、輪廻する存在。manuSya、nara、puruSaなどは、動物や神など他の生命体と区別される「人類」「ひと」の意味である。
 人法という時の「人」(pudgala)は、個人の存在のことで、それの構成要素である(dharma)に対立して考えられたものである。

 なお、漢語の「人間」(じんかん)は「世間」「この世」の意味であり、中国古典では真なる世界に対する俗世間という語感をもっている。

人界

 人界(にんかい)は人間の住む世界の意で、十界の一つ。

kṣama (S)

 たえること。能力があること。堪任とおなじ。

 身に沈重なく、堪能するところありて修断に任じ、心をして速疾に三摩地を得せしむ。

ādhāna (S)

 心を清浄にしてさとりに至るためのヨーガの実践における五段階(持・任・鏡・明・依の瑜伽地)のなかの任。聞いた教えに随って自ら根源的に思惟する(如理に作意する)段階。五位の修行段階のなかの、煖・頂・忍・世第一法からなる加行道にあたる。


 まかせること。

 情の欲するところに任す。
 性に任せて好楽す。

kṣānti(S)
1. 「忍耐」のことである。忍辱ともいう。六波羅蜜の1つで、誹謗されたり迫害を受けたりする危難や侮辱に対して、心を動かすことなく耐え忍ぶことである。

いかんが「忍」と名づくや。自ら憤勃なく、他の怨に報いず。故に「忍」と名づく   『瑜伽論』
忍とは、無瞋と精進と審慧とおよび彼に起るところの三業をもって性と処す     『唯識論九』

2. 「忍可」の意味で、道理に安住して心を動かさないことを言う。 この意味で使う時の「忍」は、修行道について言われる。

二忍

  1.  衆生忍   一切衆生が不順・不悩。たとえ他から種々の害を加えられても、よく忍耐して瞋らず報いないこと。
  2.  無生法忍  無生の法理に安住して心を動かさないこと。

三忍

 『無量寿経』において、極楽に往生する人は七宝樹林の音声を聞いて三種の「忍」を得る。

  1.  音響忍   音響によって真理を悟解することがあるもの。
  2.  柔順忍   慧心柔軟で、よく真理に随順するもの。
  3.  無生法忍  無生の実性を覚って諸相を離れるもの。これが究極のさとりである。

 善導の説いた三忍。観無量寿経の中で、韋提希夫人が得た無生法忍を解釈して、以下の三忍を説く。

  1.  喜忍    阿弥陀仏を念じて歓喜心を生ずるもの。
  2.  悟忍    阿弥陀仏を念じて真理を悟解するもの。
  3.  信忍    阿弥陀仏を念じて正信に住するもの。
この喜に因るが故に無生の忍を得る。亦喜忍と名づけ、亦悟忍と名づけ、亦信忍と名づける。     『観経序分義』二

adhi-vas: ud-sah: kṣam: kṣamā (S)

 たえしのぶ、こらえること。

 諸の菩薩は財物尠少なれども自らは貧苦を忍えて他に恵施す。

kṣānti (S)

 三種の忍(耐怨害忍・安受苦忍・諦察法忍)の忍。

  1. 耐怨害忍  他人の怨み・加害・侮辱などに耐え忍ぶこと
  2. 安受苦忍  苦を受け止めて耐え忍ぶこと
  3. 諦察法忍  深遠な教えを観察思惟して存在の真理を決定的に知ること
 諦察法忍は前の二忍の所依止なり。

cf.『瑜伽師地論』42、T30-523b以下 : 『成唯識論述記』10本、T43-577a


kṣānti (S)

 対象を認可すること。真理を証するに至る前段階の心の働き。この忍によって認可されたものを決定的にしる心の働きが智である。cf. 十六心

 諸のは皆な是れの眷属なり。
 法智の因が法智忍の名を得る。

 存在を観察することによってその存在をはっきりと認知する智慧。

 諸法に於て正しく観察する忍を所依と為すが故に、仏の善説せる法毘奈耶に於て引奪すべからず。

 加行位の四段階(煖・頂・忍・世第一法)のなかの忍。