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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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[[しゃか|釈迦]]の十大弟子の一人。(upaali उपालि(skt.))
 
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[[かぴら|カピラ]]城(カピラヴァスツ)の出身。釈迦族に仕えた理髪師であった。釈迦の弟子の中でパーチャーラー比丘尼と並んで持律第一と呼ばれた。戒律を厳守することに特に優れていた。教団の規律の中には彼の意見によって設けられたものが多い。彼と[[ゆぎょう|遊行]]をともにする[[びく|比丘]]はみな持律者であるとまでいわれたという。<br>
 
[[かぴら|カピラ]]城(カピラヴァスツ)の出身。釈迦族に仕えた理髪師であった。釈迦の弟子の中でパーチャーラー比丘尼と並んで持律第一と呼ばれた。戒律を厳守することに特に優れていた。教団の規律の中には彼の意見によって設けられたものが多い。彼と[[ゆぎょう|遊行]]をともにする[[びく|比丘]]はみな持律者であるとまでいわれたという。<br>
 
釈迦の滅後、説法や戒律を編集する会議([[けつじゅう|結集]])が開かれたが、そのとき優波離は戒律編集の中心人物となった。
 
釈迦の滅後、説法や戒律を編集する会議([[けつじゅう|結集]])が開かれたが、そのとき優波離は戒律編集の中心人物となった。

2006年12月8日 (金) 08:16時点における版

優波離

釈迦の十大弟子の一人。(upaali उपालि(skt.))

カピラ城(カピラヴァスツ)の出身。釈迦族に仕えた理髪師であった。釈迦の弟子の中でパーチャーラー比丘尼と並んで持律第一と呼ばれた。戒律を厳守することに特に優れていた。教団の規律の中には彼の意見によって設けられたものが多い。彼と遊行をともにする比丘はみな持律者であるとまでいわれたという。
釈迦の滅後、説法や戒律を編集する会議(結集)が開かれたが、そのとき優波離は戒律編集の中心人物となった。