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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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 幼くして出家したが、40歳に近い頃、慧文禅師に師事して禅を修し、勇猛精進して、昼夜を別たず修行し、ついに[[ほっけざんまい|法華三昧]]を開悟し、大乗の法門を一念に明達したという。法華三昧を得たことは、『[[ちどろん|智度論]]』の空定から超脱したことを示す。これが[[ちぎ|智顗]]に至って[[ぶっしょう|佛性]]を観ず有の観法になっていく。<br>
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 慧思が光州大蘇山に留まっていた時、智顗がその門に投じ、法華三昧を授けられた。慧思はその後、北斉末の戦乱を避けて、南方の衡山に行き、ここで没した。
  
 
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2011年2月2日 (水) 00:49時点における版

依止

 古来から「依託止住(えたくしじゅう)」の意味である。たよりにし、拠り所という留まることを言う。力あり徳あるところに止住して離れざること。

此れ等は是れ我が子なり,是の世界に依止す     〔法華経 湧出品
もしは有り、もしは無しなど、これ諸々の見を依止す。     〔法華経 方便品

依止甚深

 如来がさとった真如の法体は一切の処に遍満して、一切萬有が所依となることを言う。五甚深の一つ。


慧思

(514‐577)

 慧文の弟子。晩年に南岳衡山に住したので、南岳大師と尊称される。
 幼くして出家したが、40歳に近い頃、慧文禅師に師事して禅を修し、勇猛精進して、昼夜を別たず修行し、ついに法華三昧を開悟し、大乗の法門を一念に明達したという。法華三昧を得たことは、『智度論』の空定から超脱したことを示す。これが智顗に至って佛性を観ず有の観法になっていく。
 慧思が光州大蘇山に留まっていた時、智顗がその門に投じ、法華三昧を授けられた。慧思はその後、北斉末の戦乱を避けて、南方の衡山に行き、ここで没した。


慧次

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