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+ | 応長元年(1311)、毘沙門谷忠恵の坊に入り、永覚親王、慈道親王に師事した。のち本願寺に帰り、正慶2年(元弘3.1333)、[[しんらん|親鸞]]の書簡集である『[[まっとうしょう|末灯鈔]]』を編集した。<br> | ||
+ | 康永2年(興国4.1343)、覚如が口述した『[[さいようしょう|最要鈔]]』を筆記した。<br> | ||
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+ | : 覚如、善如を補佐して本願寺の護持に尽力したため、[[れんにょ|蓮如]]の頃までは本願寺歴代に数えられていた。 |
2017年4月8日 (土) 05:17時点における最新版
従覚
(1295-1360)
本願寺3代覚如の次男で4代善如の父。慈俊ともいう。
応長元年(1311)、毘沙門谷忠恵の坊に入り、永覚親王、慈道親王に師事した。のち本願寺に帰り、正慶2年(元弘3.1333)、親鸞の書簡集である『末灯鈔』を編集した。
康永2年(興国4.1343)、覚如が口述した『最要鈔』を筆記した。
観応2年(正平8.1351)に覚如が示寂すると、乗専の勧めをうけてその生涯をまとめた『慕帰絵』を製作した。
- 覚如、善如を補佐して本願寺の護持に尽力したため、蓮如の頃までは本願寺歴代に数えられていた。