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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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<big>vicikitsā</big> (skt.)の訳。
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<big>vicikitsā, vimati</big> (S)
 
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 [[しんじょ|心所]]〔心のはたらき〕の一つ。真理に対して心がためらい決定しないことを言う。[[しん|信]]の反対語。
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 諸の実理において、猶予不決の心を言う。これによって、一旦[[さとり]]を得れば、疑を断つことになる。小乗では預流果以上、菩薩では初地以上は、斷疑する。<br>
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 [[しんじょ|心所]]〔心のはたらき〕の一つ。真理に対して心がためらい決定しないことを言う。[[しん|信]]の反対語。<br>
 
 [[くしゃしゅう|倶舎宗]]では、不定地法の一つ。[[ゆいしき|唯識]]では6根本煩悩の一つ。
 
 [[くしゃしゅう|倶舎宗]]では、不定地法の一つ。[[ゆいしき|唯識]]では6根本煩悩の一つ。
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: 疑者、猶予二分、不決定心所、為性。当知、此疑略由五相差別建立。謂、於他世作用因果諸諦宝中、心懐猶予。(『瑜伽』58、T30-622a)
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: 如何が疑と為すや。諸の諦理に於いて、猶予するを性と為す。能く不疑の善品を障ふるを業と為す。謂く猶予するは、善生じざるが故なり。  〔成唯識論 6、T31-c〕
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: 疑とは、境に於いて不決猶予するを疑と曰ふなり。二種有り。一には事を疑す。夜樹を観て疑して是れ人なりとするが、非人と為す等の如し。二には理を疑す。諸の諦等を疑とす。小乗法の中、唯だ理を疑として取り説いて疑使と為す。大乗は通して取る。皆須らく断ずが故なり。  〔大乗義章 6〕

2019年3月9日 (土) 04:42時点における版

artha (S) の訳。

 ① 意味、わけ。② 道理。③ 意義、価値、利益。などの意味がある。
 ②の意味で、正しい伝統の道理を「正義(しょうぎ)」と言い、そうでないものを不正義・邪義・異義という。究極の道理を完全明了に示しているものを「了義」といい、そうでないものを不了義・未了義という。この了義・不了義を合わせて二義という。「義相」とは、立てた義理のすがた、あるいは義理と相状の意味であり、義路とは、道理のすじみちである。

義とは、所以なり。  〔法華玄義略述 1本〕
義に別して三あり。一に相に対して実を顕す。二には体と用に対して義の用を顕せば義と名づく。三に悪に対して善の義の利に論じ義と名づく。  〔浄影の維摩経義記 4〕

 慚愧に詳しい。

vicikitsā, vimati (S)

 諸の実理において、猶予不決の心を言う。これによって、一旦さとりを得れば、疑を断つことになる。小乗では預流果以上、菩薩では初地以上は、斷疑する。
 心所〔心のはたらき〕の一つ。真理に対して心がためらい決定しないことを言う。の反対語。
 倶舎宗では、不定地法の一つ。唯識では6根本煩悩の一つ。

 疑者、猶予二分、不決定心所、為性。当知、此疑略由五相差別建立。謂、於他世作用因果諸諦宝中、心懐猶予。(『瑜伽』58、T30-622a)
 如何が疑と為すや。諸の諦理に於いて、猶予するを性と為す。能く不疑の善品を障ふるを業と為す。謂く猶予するは、善生じざるが故なり。  〔成唯識論 6、T31-c〕
 疑とは、境に於いて不決猶予するを疑と曰ふなり。二種有り。一には事を疑す。夜樹を観て疑して是れ人なりとするが、非人と為す等の如し。二には理を疑す。諸の諦等を疑とす。小乗法の中、唯だ理を疑として取り説いて疑使と為す。大乗は通して取る。皆須らく断ずが故なり。  〔大乗義章 6〕