Harivarman (skt.) 「獅子鎧」「師子鎧」と漢訳される。4世紀ごろの人。
中インドの婆羅門の出身。最初は数論派に属していたが、仏教に入り、説一切有部の学匠鳩摩羅駄(kumaaralabdha)から『発智論』を学び、大衆部に転じ、次いで摩訶僧祇部に移って大乗を研究し、『成実論』202品を著した。後、マガダ国王の命により外道の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。
なお、成実論が漢訳されたのは、西暦412年のことである。