はらみつ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
波羅蜜
サンスクリット語のpāramitā पारमिता の音写。「波羅蜜多(はらみた)」とも音写する。
菩薩の基本的な実践徳目で、通常6種(六波羅蜜)あるいは10種(十波羅蜜)を数える。
中国や日本の伝統的な解釈では、これをpāram(彼岸に)+ita(到った)という過去分詞の女性形と読み、彼岸(悟り)に到る行と解するのが通例である。「度(ど)」「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳のpha rol tu phyin pa(彼岸に到った)もまたこの解釈からきている。
- pāramitā については異説があり、言語学的に支持されているのは、「pārami」(<parama 最高の)+「tā」(状態)と分解する説で、「究極最高であること」「完成態」と考えるべきであろう。
波羅蜜
pāramitā (S), pāramī; pāramitā (P)
原義・起源
上記の音訳。玄奘三蔵(600-664)以後の新訳では、主として波羅蜜多と音訳された。
この言葉の意味について種々の意見があるが、大別して2者に分類される。
(1) pāramitāの語源は「最高の、最上の」を意味する形容詞paramaであり、それが女性名詞となってpāramīとなり、さらにそれに「状態」を意味し、抽象名詞を作る語尾であるtāを加え、 pāramitāとしたとする説。これからすると、その語義は「成就、最上、完成」となる。
(2) 漢訳、チベット訳では圧倒的に次の意味に訳出されている。すなわちpāramitāの語源はpāra(彼岸)であり、pāram
(彼岸に、acc.)+ita(到れる)という過去受動分詞を女性形にしてpāramitāとしたとする説。漢訳では「到彼岸」、「度」などに訳され、チベット訳では「pha rol tu phyin pa」と訳された。
なお、この訳語について言語学的見地から疑義がとなえられているが、この訳語に実践的な意義を認める見解もある。
以上2種の訳出のほかに、漢訳者たちは波羅蜜に種々の意義があるとみてあえて意訳せず、「波羅蜜」あるいは「波羅蜜多」と音訳するのがつねであった。「波羅蜜」は初期仏教経典にはpārarnīとして現われ、やがてのちにpāramitāの語が現われる。
また初期仏教においては、『ジャータカ(Jātaka)」、『ダンマパダ・アッタカター(Dhammapada-atthakathā)』、「ニダーナ・カター(Nidāna-kathā)」に10種の波羅蜜が説かれ、部派仏教の時代になると、有部の教学書である『大毘婆沙論』などにおいて施・戒・精進・智慧の四波羅蜜が説かれた。
初期大乗仏教の時代になると『般若経』がこれらの諸波羅蜜をふまえ、戒・定・慧の三学を基盤とし、般若波羅蜜を中心とした六波羅蜜を提唱した。
六波羅蜜・十波羅蜜
六波羅蜜とは、布施(dāna、物心両面にわたって施与を行なうこと。また、安心を与えること)、持戒(sīla、戒律を守ること)、忍辱(kśānti、自己に敵演心をいだくものに耐え忍び、困難に耐え忍ぶこと)、精進(vīrya、困難に対する不撓不屈の精神力)、禅定(dhyāna、心を把握し、集中安定させること)、智慧(prajñā、対象に対するあらゆる執着を離れ、実相をさとること)の六種の波羅蜜をいう。
この六波羅蜜は般若波羅蜜を唱導とし、これを欠いたほかの五波羅蜜は波羅蜜とはいえないと説かれる。また、この六波羅蜜は『法華経』などの大乗経典にも継承された。
『般若経』の六波羅蜜の思想は、菩薩(bodhisattva、求道者)の修行徳目として、『華厳経』系統の経典に継承され、第6の般若を開いて、方便、願、力、智の十波羅蜜が説かれた。
これらの各波羅蜜は自己完成と同時に多くの他者の利益を願うことを目的としている.