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しょりょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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所了

vijñāta: vijñeya (S)
 認識されるもの。認められるもの。理解されるもの。所了知・所了別ともいう。

 眼根の所得、眼識の所了を説いて所見と名づく
 諸の世間の共の所了なり
 親の所了とは自の所変の相分を謂う
 所了知の真如の義の中に於ては、都て相あることなし。亦た、所得なし
 毘鉢舎那とは、謂く、即ち前の所了別の義に於て審観察するが故なり

所量

prameya (S)
 とは認識することをいい、認識されるものを所量という。
 一つの認識が成立するための3つの要素(所量能量量果)の一つ。心の4つの領域である四分のなかの相分に相当する。