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きょうてんすうはい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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経典崇拝

 大乗仏教の初期に出現した般若経典は、経典そのものを崇拝すべきであるとし、この思想はその後出現した『法華経』などの大乗経典にも継承されている。般若経典の主題をなし、最も重視されるものは般若波羅蜜(prajñāpāramitā)であるが、経名にもそれを用い、経(sūtra)の文字を加えないのが特徴である。その帰結として般若経典そのものが崇拝の対象とされることが理解される。これは経巻の信受、受持、書写、供養の強調ということに連続する。『道行般若経』巻3、功徳品に『般若経』を受持する功徳が絶大であることが述べられる。『般若経』を受持するものは毒蛇も彼を避けて通り、戦場に赴いても傷つかないと説く。また『八千頌般若経』において、般若波羅蜜を書写し、供養を行なって安置するものには、他人が彼の欠点を捜し求めても、欠点を言うことができないという。また『般若経』は仏舎利(釈尊の遺骨)供養を尊重すべきであるとしばしば説いている。如来の如来たるゆえんは、一切種智を得ているからである。その一切種智は如来の身体をよりどころとしていた。それゆえに、如来の滅後にその身体(舎利)が供養されるとする。しかし、『般若経』の説くところによれば、般若波羅蜜の経巻を書写し、受持し、研究し、他の人びとのために説くならば、得られる功徳は仏舎利供養に比較して比喩も遠く及ばないほど大きいと説いている。それは如来の智慧が般若波羅蜜より生じているからである。
 この経典崇拝の思想は、『法華経』にも影響を与えた。『法華経』には仏滅後、舎利塔を建ててこれを供養するという舎利重視の思想がある。そして『法華経』は一方では舎利重視をしつつ、『法華経』の経典受持・尊重ということと総合化した。見宝塔品第11において、釈尊が『法華経』の説法をしているとき、大地から高大な七宝の塔が涌出し、その塔中より大音声が発せられ、釈尊の説いている『法華経』の教えが真実であると証明していることも、この総合化を物語るものである。また譬喩品第3において、『法華経』を信受することにより、さとりの世界に入りうると説かれている。この『法華経』崇拝の思想は、わが国において、日蓮(1121-1282)によって、「南無妙法蓮華経」(わたしは『法華経』に帰命し、このうえなく尊重します、の意)という題目をとなえるということに展開された。そしてこの唱題は、『法華経』の説く真理に帰入するための具体的な実践を意味した。