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アーラーラ・カーラーマ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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アーラーラ・カーラーマ

Ālāra Kālāma आलार कालाम(S)

 阿羅邏迦蘭は、古代インドの修行者で、釈尊が出家後に師事した人物の1人。

 「方広大荘厳経」によれば、ヴァイシャーリーの近くに在していたという。なお、『因果経』3や『修行本起経』下などでは、阿羅邏と迦蘭を分かち2人とする説もある。またラージャガハ(王舎城)の人ともされる。「仏所行讃」によれば、ヴィンディヤ山脈が住処とされる。

歴史

 南伝仏教の文献によると、釈尊は出家直後に道を求めんとして、彼のもとを訪れ「無所有処(ākiñcaññāyatanaṃ)」の教えを聞いて、間もなくその境地を証得した。

"Evaṃ vutte, bhikkhave, āḷāro kālāmo ākiñcaññāyatanaṃ pavedesi"

 彼は釈尊が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子の300人を共に率いていくことを要請した〔聖求経〕。しかし釈尊はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、彼のもとを去って次にウッダカ・ラーマプッタのもとへ行ったという。
 なお、『方広大荘厳経』7では彼の説いた境地は「無所有処」とするので、北伝仏教の仏説ではこれを一般視する向きが多い。

 南伝『マーハ・ヴァッガ』には、仏が成道して初めて説法(初転法輪)をする7日前に死んだとされる。なお、五分律では初転法輪の前夜とする。

 また『大般涅槃経 (上座部)マハーパリニッバーナ経』(いわゆる小乗の『大般涅槃経』・『遊行経』のこと)に、仏の最後から2番目の弟子(在家)として「福貴(Pukksa、プックサ)」という名前が挙げられているが、福貴はもとはアーラーラ・カーラーマの弟子だったといわれる。