操作

しょうじょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2009年7月31日 (金) 11:22時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版

清浄

prasaada (skt.)

清く澄んでいること、顔容の光輝、心の平静などを意味する。澄浄、浄心、信、信心、浄信、深信、喜愛などとも訳す。

清浄」とは、諸もろの煩悩の垢濁を離れるなり。有る人言わく、信解を名づけて清浄と為す、と。有る人言わく、堅固のを名づけて清浄と為す、と。是の清浄の心は、仏法僧の(三)宝に於いて、苦集滅道の(四)諦に於いて、六波羅蜜に於いて、菩薩十地に於いて、空・無相・無作の法に於いて、略して之れを言わば、一切の深経、諸もろの菩薩、及び其の所行の一切の仏法に、悉く皆な心に信清浄なるなり。    〔十住毘婆沙論〕