ぜんなんし
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善男子、善女人
kulaputra, kuladuhitrii (skt.)
もともとは、良家の男子、女子の意味であり、経典の中でその経典の説法を聞く相手(対告衆)に仏が呼びかけられる時に用いられる。その点で、善男子、善女人とは、一般に信者の通称といってもよいであろう。しかし、この呼びかけかたから、いろいろの経典のすがたを考えることがある。
たとえば、この善男子善女人は比丘〈bhikSu, bhikkhu〉比丘尼〈bhikSunii, bhikkhunii〉優婆塞〈upaasaka〉優婆夷〈upaasikaa〉式叉摩那〈zikSamaana, sikkhamaanaa〉沙弥〈zraamaNera, saamaNera〉沙弥尼〈zraamaNerikaa, saamaNerii〉などの七衆の中の優婆塞、優婆夷をいうとして、五戒(不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒)をたもてる在家の人をいうとするばあいのごときである。
浄土真宗の場合
浄土真宗では善男子善女人の「善」を宿世の善因と解して、宿世の善因をもって生まれた男子女子とみたり、また現世の善を修する男子女子とみたり、さらに一般的には念仏する男女のことをいうと解釈したりする。
また『阿弥陀経』にでる善男子善女人のことばをみて、この経が単なる凡夫を相手にしたものでないとするごときである。このような特別の理解は別にして、一般的には在家の男女の信者をいうとみるべきである。