1217(建保5)-1303(嘉元1) 字は良観といい、大和(奈良県)の出身。西大寺叡尊にしたがい戒律と密教を学ぶ。あつく文殊菩薩を信仰し、貧窮者や癩病患者の救済にあたる。 36歳のとき関東に下向し、北条重時一族の支援により、鎌倉極楽寺を中心に戒律を復興した。また聖徳太子を追慕して、病院や馬病舎を設置し、社会救済事業を推進した。
なお、極楽寺を光明真言の道場とし、その流布に努めると共に寺院経営や出版事業などにも功績を残し、西大寺流の発展につくした。また摂津多田院や四天王寺別当、東大寺大勧進職にもなった。
弟子に栄真・順忍がいる。