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ねんぶつ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2016年10月19日 (水) 06:54時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (念仏)

念仏

 仏を念ずること。念仏は一般に仏道修行の基本的行法の一とされるが、これには理法としての仏を念ずる法身の念仏と、仏の功徳や仏の相を心に思い浮かべてみる観念の念仏と、仏の名を口に称える称名の念仏(口称念仏)とがある。

六念

 念仏とは、サンスクリット語では「buddha-anusmRti」であり、六念(ろくねん)‥‥つまり、念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天‥‥の一つとしての念仏の原語である。この場合の念仏は、仏の属性には大慈・大悲・大光明があり、神通も無量であって、それによって、衆生の苦を救うと思い、自分もまたそのような仏とならねばならないと仏を念ずることを意味する。
 念仏については、さらに正しく物を見るために、五停心観(ごじょうしんかん)という、心を停止する観法ががあり、その中にも「念仏観」がある。この場合の念仏観は、睡眠とか逼迫の障りを対論して心を静止せしめるための方法をいう。
このように、念仏には、様々な受け取り方がある。

仏教の教理史的には、およそ3つに分けられる。

1.仏隨念

初期の仏教で、仏を憶念することを念仏と言う。仏教の修定とは基本的にすべての意識活動を停止することだが、隨念とは、できない場合に何かの対象に意識を集中することによって、他のすべての意識活動を停止しようとする方法である。仏身(色身)を憶念の対象とする「見仏」、禅定三昧の中で観察する「観想」・「観仏」も念仏とするようになった。

2.念仏三昧

大乗仏教初期には、諸仏の徳を讃嘆し供養することが大切な行とされた。そこで、三昧に入って念仏をすることがその行とされた。

3.称名念仏

中国浄土教になると、念仏には2つの流れができる。

  1. 「観相念仏」(仏の姿を思い浮かべる) 慧遠白蓮社慈愍禅観念仏など
  2. 称名念仏」(仏の名を唱える、いわゆる念仏)
    ことに、善導憶念称名とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。この流れは、日本の法然に受け継がれる。
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