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ごじはっきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2018年1月14日 (日) 13:22時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (第一華厳時)

五時八教

天台宗教判

 「五時」とは、華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時の五時で、佛一代の教を判釈し、化法の四教・化儀の四教の八教判と合せて「五時八教」と呼ぶ。
 この「五時八教」は、湛然の著作には見られるが、法華三大部には見あたらないため、六祖湛然の頃に成立したものであり、智顗潅頂の時代にはまだ成立していなかったと見られる。
 「五時八教」という用語は、三大部には見あたらないが、この言葉で呼びうる思想・教理はすでに天台にあったと解釈する説もある。おそらくこのようにまとめうる思想は、智顗にあったが、まだ五時八教の用語を用いるまでには至らなかったと見るべきであろう。

第一華厳時

 仏が成道した般初の三七(21)日間華厳経を説いた時期をいう。その時説いた教えの内容は、正しくは円教であるが、あわせて別教を説いている。この説法の対象は大菩薩衆である別教と円教の優れた能力の者であって、仏の教化の意味からすると自己自身のさとった仏慧を擬して適否を試みたものであるから擬宜鍵の時とし、教えの順序でいえば牛から搾ったままの乳味に当たる。
 華厳経には前分と後分の区別があって、前分は三七日の時の説法で声聞はいないが、後分は入法界品のように舎利弗などの大声聞などがいる。しかしこの時の説法は程度があまりにも高くて、声聞は化益に預ることができなかった。

第二鹿苑時

 華厳経を説いて後の12年間に、十六大国で小乗の四阿含経を説いた時期をいう。この時期における仏の最初の説法の場所が鹿野苑であったから鹿苑時といい、説いた経名をとって阿含時ともいう。説いた教法は今度は程度が極めて低く、小乗即ち三蔵教のみであり、仏の教化の意味からは浅薄な能力の者を対象として誘い導いたものであるから、誘引の時とし、順序の上では乳の次の段階である酪味に譬えられる。

第三方等時

 鹿苑時の後8年間に維摩経・思益経・勝鬘経などの大乗を説いた時期をいう。説いた教法は蔵・通・別・円の4教を並説し、第二時で得た小乗の浅いさとりを仏の深いさとりと同一視している偏見を打破した。その中では折小歎大(小乗はつまらないと非難し、大乗はよいとほめたたえる)・弾偏褒円(偏教をけなし、円教をほめる)の意味が説かれ、恥小尊大(つまらない小乗を恥じて、尊い大乗をしたう)の思いを起こさせる。仏の教化の意味からすれば弾訶(小乗はつまらないとしかりつける)の時とし、順序の上では酪の次の段階である生蘇味に喰えられる。
 方等というのは大乗経の通名であるから、大乗の初めであるこの時を方等時と名づけたのである。

第四般若時

 方等時の後22年間に諸部の般若経を説いた時期をいう。経名によって時の名が立てられている。説いた教法は通・別・円の3教を内容としており、仏の教化の意味からすれば大乗・小乗を別のものとする偏執を淘汰(あらいきよめる)するために諸法はみな空で大乗・小乗は一味であると融合させるから淘汰の時とし、順序の上では生蘇の次の段階である熟蘇味に喩えられる。この時期においては須菩提などに般若を説かせ、大乗にあこがれている二乗をさらに大乗の中に進展させて空に入らせるのであるから、これを般若の転教といい、法の上で区別をなくするから法開会ともいう。このうち、通教の消極的な空を説く共般若(三乗共に学ぶ般若)と一切皆空の積極的不空中道を説く別円二教の不共般若(菩薩のみが学ぶ般若)とがある。

第五法華涅槃時

 教えを受ける者の能力が最も進んだために、正しく真実の仏知見にさとり入らせる時であって、仏が最後の8年間に説いた法華経と、涅槃に入ろうとして一日一夜に説いた涅槃経とが、この時期に当たる。説いた教法は純粋に円満な円教の教えで、それまでの前四時の浅い方便の教えを開会(方便をうちあけて真実と一にする)して真実を顕す開顕円であり、仏の教化の意味からは理論的な法開会のみでなく、実際にすべてさとりに入らせる人開会であって、順序の上からは熟酥に次ぐ段階である醍醐味に喩えられる。
 法華経と涅槃経とは結局一(仏)乗を顕場するのであるが、法華経は前番五味のうちの後教後味といわれて、華厳時以後、法華経までの二乗を開会して仏知見に入らせる大目的を成就するもので(大収教)、涅槃経は法華経でもれた能力の者に対して蔵・通・別・円の4教を追説追泯(追いかけて説き、追いかけて否定し、円教を顕す)して仏性常住 扶律談常を述べて教化し成仏させるから、後番五味のうちの後教後味、後教涅槃経という(捃拾教、捃はひろいとるの意)。