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きょうそうはんじゃく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

きょうはんから転送)

教相判釈

教判」としばしば呼ばれる。

 中国仏教の特徴的な研究方法の一つであり、インドではこのような方法論はない。
 中央アジアを経由して、聖典の成立年度に関係なく、中国に一時に仏教聖典が流入したことによって、それぞれの聖典を分類しようと考えられた方法論の一つである。
 学者それぞれの立場によって、経典の価値的な配列を行っている。ことに経典を講ずる「講経会」初日に行われる「開題」のテーマとなって、提唱する総論として発達する。

竺道生の教判

 教判の最古のものと考えられる。およそ5世紀のものであり、4種に分けられている。
1.善浄法輪  在家信者のためのもの
2.方便法輪  声聞独覚菩薩乗のためのもの
3.真実法輪  法華経
4.無余法輪  大般涅槃経

慧観五時教判

1.鹿野苑四諦法輪を転ずる
2.大品般若経
3.維摩経梵天思益経
4.法華経
5.沙羅双樹林で大般涅槃経

インド仏教

 釈尊に発した仏教の教説は、原始仏教聖典をはじめとして部派仏教から大乗仏教へとさまざまに展開し、その結果、具体的にはたがいに異なった様相を呈するにいたり、ときには客体的にはほとんど矛盾するような教説が同じく仏説であるとして主張されたりした。にもかかわらず、その場合にも、すべての経説は仏説として権威づけられ、みだりに人情によって左右すべきではないという判釈者にとっての制約があった。
 釈尊の説法は、本来、自己のさとりの内容を定形化して説くことを欲せず、つねに教えを受ける相手の側の機縁に応じて異なった説明を与える、いわゆる対機説法の最もすぐれたものであったと解されている。問答対話の方式を多用することによって、種々の手段・方便をつくし、譬喩・因縁談などをとりいれることによって、教えの内容が信者たちの体験や習慣とあい離れたものでないように、すなわち日常の理解可能な面から説きおよんでいくという立場に立っていた。釈尊の説法に対するこのような受けとり方の特徴は、後代にさまざまなかたちをもって成立した仏教聖典一般の特徴としても受けつがれる一方、特に大乗仏教においては、この問題が、真実と方便真諦俗諦(施設)と中道などの教理上の関心の俎上に載せられている。
 一般に、仏教教理学における諸種の教相に対する判釈は、自家の立場から一切の経説を統一的に位置づけるために、教祖釈尊の意図や所論、所被の機、あるいは説法の時・処に託して、問題を、釈尊がどういうわけでおのおのの経をそれぞれの順序で説いたかという仕組みにおきかえて、特殊的立場から問題を解釈学的に処理しようとするものである。それは、ほとんどのケースにおいて、判釈者のおかれた思想的・教学的、あるいは実践的立場の存在意義と深く関わっている。

 インド仏教史においては、特に部派仏教に対して大乗仏教側が自説の位置づけと、大乗の教理の真実義を詮表しょうとした方法のなかに、この問題に対する解釈の主流が認められる。とりわけ、『法華経』において、声聞・縁覚・菩薩の三乗の修行者が、おのおのの修行をなしつつ、しかもそれらはいずれもひとしく成仏への一つの道を進んでいるのであると明かすところの一仏乗の思想は、のちの中国・日本仏教においても、教判思想の重要な原型となった。また、大乗仏教内の諸学説が分岐するに従って、前代の学説を批判して自己の立場の意義を示す必要性が生じ、たとえば、『解深密経』無自性相品に説く三時教の説は、釈尊の教えには三時の階段的順序があったとするものであり、おそらく経典のなかで直接に教判を説く唯一のものである。この『解深密経』のほか『瑜伽師地論』『宝性論』などの瑜伽行派の文献には、一切の仏教を了義・不了義(未了義)に識別する判釈が説かれている。了義教とは、仏の真意が十分に解明された完全な教えであり、不了義教とは、仏陀の真意がまだ十分に顕説されていない、不完全であり理をつくしていない方便の教えであるという意味である。前述の『解深密経』では、それ以前の第一時、小乗諸部派の思想と第二時、『般若経』・龍樹に代表される大乗の空説を不了義とし、この経に説く唯識中道説を了義とする。有・空・中の三時教判といわれて、法相宗によって伝承された。

中国仏教

 インド仏教に比して、教相判釈は、中国仏教の教理学にとっては、より切実な問題であった。インドにおける経典の成立事情や学派の流れとは関わりなく、雑然と流入翻訳された大小乗の彪大な文献を前にして、おそらく中国仏教者たちは途方にくれたことであろう。いったいそのなかで仏教の教えとして何が最も重要であり、かつ、それと他の経典とのあいだの関係・位置づけをどのように考えたらよいのか。この課題は、仏教に対する中国人の心魂を澄ませた観識眼を開かせ、仏教諸経論の内容に対する価値的な序列決定を含む教相判釈の態度を促進させることになった。また、そのような教判に対する中国人の観識眼とそこから生ずる独特の発想が、中国固有の仏教宗派を産みだすことになったのであり、中国仏教における各宗の成立・定着と教相判釈の態度とは、インド仏教に対する中国独自の仏教を形成する大勢のなかで密接に関連している。
 古くは、鳩摩羅什一音教の教判、彼の弟子、道生に四法論(善浄法輪・方便法輪・真実法輪・無余法輪)の教判のあったことがいわれているが、後代の教判思想に対する影響という面から注目されるのは、南地仏教学の教判の基となった道場寺慧観の三教五時の教判と、北地仏教学の教判に大きな影響力をもった地論宗慧光の頓・漸・円三教の教判である。道生の頓悟説に対して漸悟説をとなえた慧観に帰せられる教判(天台・三論の所伝による)は、頓・漸の二教または頓・漸・不定の三教のうち、漸教を三乗別教(三乗の行因得果不同を説く経)・三乗通教(『般若経』)・抑揚教(『維摩経』『思益経』のごとく抑小揚大を説く経)・同帰教(『法華経』)・常住教(『涅槃経』)の5によって示すものであり、これは光宅寺法雲の『法華経義記』を通じて聖徳太子の経典解釈にも影響を与えている。

 すでに天台大師智顗(538-597)は『法華玄義』巻10のなかで、彼以前の種々の教判を総括して、いわゆる南三北七の十師の説をあげているが、中国仏教で産みだされた代表的な教判は、天台の五時八教と華厳の五教十宗の教判である。天台の五時とは、釈尊一代の説法を、教えをうける人の機根と時期に応じて分けたもので、華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時からなる。すなわち、仏は成道の直後に『華厳経』を説いたが、これは仏の自内証をそのままに説いたもので、声聞のごときは如聾如唖であったので、次には誘引のために鹿野苑で『阿含経』を説き、しだいに方等経典・般若経典によって教化しながら、最後に『法華』『涅槃』の円教に導入しようとされたという解釈である。八教とは、化儀(説法教化の方法による分類)の四教、すなわち頓教・漸教・秘密(不定)教・不定教と、化法(説法教化の内容による整理)の四教、すなわち蔵教・通教・別教・円教の四教を合わせたものをいう。
 蔵教とは三蔵教の略で小乗自利の教え、通教とは三乗に共通の教えで大乗の初門、別教とは純粋の大乗で、二乗とともにしない菩薩に特別の教え、円教とは円融円満、完全無欠で『法華経』の教えである。この化法の四教は、天台宗の説く空・仮・中の三観の趣意の現われ方による仏一代教説の分類であって、ここに天台の教判思想の特徴が示されている。ただし、このように天台の教判を五時八教にまとめて説明するようになったのは六祖荊渓湛然(711-782)の三大部注釈以後である。なお、天台宗の教判を簡潔にまとめた綱要書に高麗・諦観(10世紀中葉)の『天台四教儀』(T46、No.1931)1巻があり、古来天台教学への入門書として広く講読された。華厳宗の五教判は、小乗教・大乗始教・大乗終教・大乗頓教・大乗円教であり、十宗判は、五教が能詮の教えであるに対して所詮の理という観点からさらにそれを拡大して示したものであり、いずれも賢首大師法蔵によって確定した。五教判のうち、小乗教は『阿含経』『婆沙論』などの教説、大乗始教は法相宗(相始教)と三論宗(空始教)の教説。これを大乗の初門とするのは、そこでは人法二空を説くが、事・の一体を説きえない教えと見ているからである。大乗終教は大乗終極の教えを説き、事と理との融即を説く『勝鬘経』『楞伽経』や『大乗起信論』などの教説である。大乗頓教には特別の経論はないが、言葉による表現がまったく消滅し、法性そのものが現われ「一念不生即ち仏」であると目覚めさせる趣旨を説く箇所はすべてそうであるという。しかし、清凉澄観(738-839)は頓教を禅宗にあてた。円教は重々無尽の法界縁起、円融具徳の一乗を説く『華厳経』の教説である。
 次に十宗判は、

  1. 我法倶有宗
  2. 法有我無宗
  3. 法無去来宗
  4. 現通仮実宗
  5. 俗妄真実宗
  6. 諸法但名宗(以上は小乗教)
  7. 一切皆空宗(大乗始教)
  8. 真徳不空宗(終教)
  9. 相想倶絶宗(頓教)
  10. 円明具徳宗(円教)

である。
 そのほか、三論宗の二蔵(声聞蔵・菩薩蔵)三輪(根本法輪・枝末法輪・摂未帰本法輪)の教判はきわめて簡潔な分類法である。根本法輪とは『華厳経』を指し、枝末法輪とは『阿含経』から『法華経』以前までの大小乗すべての教説、摂末帰本法輪とは三乗の教えを一乗に帰一せしめる『法華経』を指す。
 法相宗の教判には、さきに触れた『解深密経』の説にもとづく有・空・中道の三時教と、慈恩大師基が『法華経玄賛』1巻本に説いた八宗判(我法倶有宗・有法無我宗・法無去来宗・現通仮実宗・俗妄真実宗・諸法但名宗・勝義皆空宗・応理円実宗)があり、後者はさきの華厳十宗判の前八に連なる。
 律宗では、四分律宗の創設者道宣に、一代仏教を化教、制教(または行教)とする二教判がある。化教とは相手の機に従って化導する教えという意味で、経蔵・論蔵の教え、大・小乗の経典を含む。それに対して、制教とは規則を制して実行せしめる教えという意味で、律蔵に説かれている教えをいう。律宗ではこのなかを戒体論に関する立場の差によってさらに三宗に分けているが、それによって戒律をもって宗となす律宗の仏教全般に対する立場を闡明しようとしている。
 浄土教の方面では、曇鸞(476-542)は『浄土論註』において、仏教に難行・易行の二道のあることを明かし、道綽(562-645)は『安楽集』において、一代仏教を聖道門と浄土門に分ける教判を立てた。道綽にやや先んじて末法到来に対応した信行(540-594)の三階教は、全仏教を時・所・人によって三種に分け、第一階(仏滅後500年)を一乗、第二階(次の1000年)を三乗、第三階を普帰普法の時代とした。
 また、禅宗では不立文字、教外別伝を標傍して一代仏教に対する自宗の地位を示しているので、これも一種の教判である。

日本仏教

 各宗の教義の大半が隋・唐の中国仏教教理学の影響下に成立しているため、各宗のよる教判論も中国仏教における考え方を継承することが多かった。また、概して言えば、わが国では、真言宗が自宗の密教に対してすべての他宗を顕教とし、禅宗が自宗に対して他の諸宗を教宗とし、浄土系諸宗が自宗の浄土門に対して他宗を聖道門とするなど、簡潔な教判が多い。それは自宗と他の諸宗全体との相違を明確にするのが主眼で、中国仏教のように大きな構想をもって仏教諸宗の教義を総合分別する体系化を目的としなかったためであろう。
 しかし、空海の顕密二教判(『弁顕密二教論』)と十住心の教判(『秘密曼茶羅十住心論』『秘蔵宝鑰』)、日蓮における教・機・時・国・序の五義の教判(『教機時国鈔』)のような特色を著しく発揮したものもある。
 また、日本天台の教学が中国天台に対して有する特色の一つに、法華円教と真言密教とが根本的に一致するという円密一致をたてまえとする教判を立てていたことが指摘されている。いわゆる蔵・通・別・円・密の五教判であり、それは円仁円珍の説を承けた安然によって説かれた。なお、日本天台の教学は最澄の死後、さらに密教的要素が強まり、法華円教に対する密教の優位が覆えなくなるのであるが、顕密の教判論についても、円珍は、天台智顗の所説を「内に秘密教を証し、外に顕教を説く」と会通している。これなどは、教判思想が、釈尊のみならず、宗祖の立場にさかのぼって構想された一例である。