じょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
目次
定
samādhi समाधि(S)
原語の漢訳である。音写語は三昧。
心を一処に定止して、散ることなく乱れることがないのを定という。この定という心性の作用に2つある。
- 1 生得の散定
- 欲界にある有情にも、生まれながらに心と相応して起こるもので、対する認識作用の相手(境)に専心する作用。我々がゲームなどに一心不乱になるとかいう状態のことを指す。
- 2 修得の禅定
- 色界・無色界の心の作用であって、勤行修得して得ることができる作用。
「戒・定・慧」の三学の一つであり、この場合は広く修行全般のこと。
心のさだまったありよう、動揺せず散乱しないありよう、をいう。次のようなさまざまな概念のなかで使用され、原語も相違する。
別境の心所の定(samādhi)
観察しようと欲する対象に心をとどめることによって心が散乱することなく静かにさだまっているありようをいう。「心一境性」と定義され、心が一つの対象(境)にとどめおかれた状態をいう。智(prajñā)を生じる原因となる。
原語samādhiを音写して「三摩地」といい、意訳して「等持」という。
- 何等三摩地。謂、於所観事、令心一境為体、智所依止為業。〔『集論』1、T31-664b〕
- 云何為定。於所観境、令心専注不散為性、智依為業。〔『成論』5、T31-28b〕
静慮(dhyāna)のなかの定(等持 samadhi)
さだまった心のなかで、特に詳しく深く静かに思考する働き(審慮)がすぐれているものを静慮と呼ぶ。
- 若し爾らば諸の等持を皆な静慮と名づくべし。爾らず。唯だ勝たるに方に此の名を立つ。世間に言うが如く、光を発するを日と名づけ、蛍燭などは亦た日の名を得るにあらず。〔『倶舎』28、T29-145b〕
2つの無心定(無想定・滅尽定)の定(samāpatti)
原語samāpattiを音写して三摩鉢底といい、意訳して「等至」という。身体を平等に活動せしめる心、かたむくことなく平等に働く心のありようをいう。
- 此令大種平等行故、説名為定。或由心力平等至此故名為定。〔『倶舎』5、T29-26a〕
定の七名
- 三摩咽多(samāhita 等引)
- 三摩地(samādhi 等持)
- 三摩鉢底(samāpatti 等至)
- 駄那演那(dhyāna 静慮)
- 質多翳迦阿羯羅多(citta-agratā 心一境性)
- 奢摩他(śamatha 止)
- 現法楽住(dṛṣṭta-dharma-sukha-vihāra)
- 定有七名。一名三摩咽多、此云等引。三摩云等、咽多云引。二云三摩地、此云等持。三云三摩鉢底、此云等至。四云駄那演那、此云静盧。五云質多翳迦阿鶏羅多、此云心一境性。質多云心、翳迦云一、阿羯羅云境。多云性。六奢摩他、此云止也。七云現法楽住、等引通有無心、唯定非散。〔『了義灯』5本、T43-753b〕
決定(けつじょう)
きまっていること。決定していること。さまざまな文脈のなかで使用され、原語も相違する。
- 1 原語niyataの訳。
- かならずそうであること。決定していること。不定の対。
- 順楽受業と順苦受業と順不苦不楽業の三業に定と不定とあり
- 定に順現法受と順次生受と順後次受との三つあり。
- 2 かならず・必然的に・確かに・絶対に・常に、などを意味する副詞句。
- 原語はatyantam: avaśyam: ekāntam: kevalam: dhruvam: niyamena: nūnam: sarveṇa sarvam など。
情
sattva सत्त्व(skt)
indriya इन्द्रिय(skt.)
根と同意。機官。それも認識の機官。
『維摩経』などに出てくる。
こころ
「有情」というときの「情」
上
adhimātra: ucca: utkṛṣṭatara: uttara (S)
価値や程度が上であること、高いこと、すぐれていること。