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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

kāla-kriyā (S)

 死ぬこと。若くして死ぬこと。cf.中夭

atyanta: atyantam (S)

 永久に。完全に。究極的に。

 この文字は、仏教では「ゆう」と読む。

urabhra: paśu (S)

 ひつじ。牛・馬などとともに家畜の類としてあげられる。また屠殺して食用に供せられるものとしてあげられる。

 象・馬・牛・猪・羊・驢などを胎生と名づく。
 悪業を造るとは羊・鶏・猪などを屠するを謂う。

avaśyam (S)
 かならず。きっと。

 要ず因は縁を待って果を生ず。

 かなめ。要約すること。大切なことをまとめること。

 略して此の中の要義を顕す。
 要を以って説く。
 要を以って之を言えば。

avakāśa: śakya: saṃbhava (S)

 できること。ありうること。可能であること。「~べし」と読む。

 未だ下地の煩悩を離れざれば、必定して上地に生ず。容きなし。

 (声を)はりあげること。

 声を揚げて大に叫呼す。

pracālaka (S)

 ゆする、ゆさぶること。動かすこと。

 応に身を揺り、臂を揺り、頭を揺り、跳躑し、手を携えて腰に叉し、肩を竦て、施主の家に入るべからず。

patra: parṇa (S)

 は。木のは。

jaghana (S)
 こし。

prākāra (S)
 かき。囲い。垣牆・牆・牆壁とおなじ。

 城あり、骨を墉と為し、筋肉をもって塗飾す。其の中に貪・恚・慢・覆ありて任持せらるる。

chāyā (S)
 (光がさえぎられてできる)かげ。顕色(明瞭に顕現している色彩)の一つ。

 顕色とは青・黄・赤・白、光・影・明・闇などを謂う。
 光明を障えて生じて中に於て余の色の見る可きを影と名づく。
 明は灯に依るが如く、影は樹に依るが如し。

pratibimba (S)
 (鏡や水などに映る)映像。影像とおなじ。真実には存在しないものの職えの一つとして用いられる。cf.影像

 幻の如く、響の如く、影の如く、焔の如く、夢の所見の如く、皆な真実に非ず。

chāyikā (S)
 (焼けたものの)灰。

 諸の器世界は皆な焚焼せられ、災火が滅して後は灰燼して現ぜず、乃至、余の影も亦た不可得なり。

upabṛṃhaṇa: aupacayika: poṣaka: poṣakatva (S)
 やしなうこと。やしない育てること。成長せしめること。

 四食のなか前の二は、養母が已生を養うが如く、後の二は生母が未生を生むが如し。

 むね。

 此れに因って膺を拊(ウ)つが故に名づけて苦と為す。

kaṇḍū (S)
 かゆい感触。触覚(身識)の対象である感触()の一つ。

 血に過患あるに由って不平等なるが故に癢を仮立す。〔瑜伽師地論54、T30-597a〕

gaṇḍa (S)
 はれもの。腫瘍。首にできる腫れ物。

 諸行は衆縁より生起し、其の性は是れ苦にして、病の如く、癰の如し。
 此の身に於て楽受が生じた時は、当に毒熱の癰が暫く冷触に遇うが如<に観ずべし。