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けだい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

懈怠

kausīdya (S)

けたい」と読むことは少ないことに注意。

 悪を断ちきり、善を修する努力を尽くしていないことをいう。アビダルマ(阿毘達磨)における五位七十五法大煩悩地法にあげる六つの煩悩の一つ。

 『倶舎論』(4)に

心が積極果敢でないこと

とあるのがそれである。また、唯識随煩悩のうち大随惑とされる八つの煩悩の一つ〔唯識論(6)〕。
 釈尊の臨終のことばは

 つつしんで懈怠することなかれ。

であったとされている。

〈唯識〉では、20随煩悩の一つである。〔成唯識論、T31.0033b〕

 冥想の過程の於ける6種の欠陥の一つ。〔広釈菩提心論2、T32.0567b〕

世の厭はしきことは、すべて露ばかり心もとまらずなりにて侍(はべ)れば、聖(ひじり)にならむに、懈怠すべうも侍らず。    〔紫式部日記〕
 世間のなぐさみ囲碁将棋などして、善事をおこたるはみな懈怠なり。すべて善事をおこたるを懈怠と云ふ。〔香月〕
 善事に於て進まずおこたる煩悩を懈怠と云ふ。そこで悪事に進むのはみな怠と云ふなり。〔香月〕
 憶念祢名のいさみなき人のこと。〔円乗〕

漢語の「懈怠(かいたい)」については、おこたる、なまけるの意味であって、中国古典の『韓非子』(八姦)、『呂氏春秋』(音律)、『呉子』(論将)、『後漢書』(馬皇后伝)などに用例が見えている。