げんそうえこう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
還相回向
- 還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向かへしむるなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を度せんがためなり。このゆゑに、「回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」〔浄土論〕 とのたまへり
として、還相回向を説明している。現代語で
- 還相回向というのは、阿弥陀如来の浄土に往生して、止観行を成就し教化する力を獲得し、生死の世界、つまりこの世に還り来たって、すべての衆生を教化して、一緒に仏道に向かわせようとする力を、阿弥陀如来から与えられること。
とでも訳すことができるだろう。
しかし、これを単に
- 浄土に往生した者が、菩薩の相をとり再び穢土に還り来て、衆生を救済するはたらきを阿弥陀如来から与えられること。
と訳すと、浄土から帰ってきた幽霊のようなものを想定してしまうだろう。実際、かなりの学者がそのように理解しているようである。
しかし、妙好人の庄松は、
- オラが喜んで捨てた「南無阿弥陀仏」を、拾うて喜ぶ者がおる
と端的に表現して、念仏者の口から出てくる名号を聞いて、称名をする人間がいることを、阿弥陀如来の働きととらえ、自らが称えた名号を指して浄土から還ってきた相(すがた)と理解している。こちらが正しい還相回向の理解だと考えられる。
また、
- 還相の利益は利他の正意を顕すなり。ここをもつて論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。仰いで奉持すべし、ことに頂戴すべしと。〔教行信証〕
と親鸞が解説しているように、還相回向は利他行と解するべきである。さらに、
- 二つに還相回向といふは、すなはち利他教化地の益なり。すなはちこれ必至補処の願(第二十二願)より出でたり。また一生補処の願と名づけ、また還相回向の願と名づくべし。〔文類聚鈔〕
として、四十八願の内、第二十二願を根拠として挙げている。
曇鸞
還相廻向というのは、『浄土論』に示される園林遊戯地門に相当し、阿弥陀仏国に往生し方便力を成就し、「一切衆生を摂取して、ともに同じく安楽の仏国に生ぜんと作願」して、応化身を示して生死界にたち還り、あらゆる衆生を利他すること自在にして、度無所度であるのをいう。
この廻向は所詮度衆生心のあらわれであるが、曇鸞は『無量寿経』巻下の三輩段に示される無上菩提を願作仏心とし、さらにその「願作仏心とはすなわち度衆生心なり。度衆生心とは、すなわち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり」と指摘し、願生者にたいして必ずこの無上菩提心を発すべきことを強く訴え、要請している。