691年‐777年。奈良時代の僧。「じくん」とも読む。持統天皇5年生まれ。河内(大阪府)出身。俗姓は船。法相宗の僧。
大和(奈良県)興福寺で法相を、審祥に華厳をまなぶ。少僧都。 興福寺初代別当となり、藤原仲麻呂と提携して仏教政策をすすめる。 道鏡に解任されたが、道鏡の失脚後、少僧都に復帰。 宝亀8年死去。87歳。
著作に『梵網経上巻抄記』