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amoghavajra (skt.) 「不空金剛」が具名。705年 - 774年。北インドの[[ばらもん|婆羅門]]系の父と、康国(サマルカンド地方)人の母との間で、西域に生まれる。[[しんごんしゅう|真言宗]]の付法(ふほう)の第6祖、伝持(でんじ)の第4祖。
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<big>amoghavajra</big> (S) 「不空金剛」が具名。<br>
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 705年 - 774年。北インドの[[ばらもん|婆羅門]]系の父と、康国(サマルカンド地方)人の母との間で、西域に生まれる。[[しんごんしゅう|真言宗]]の付法(ふほう)の第6祖、伝持(でんじ)の第4祖。
  
13歳のとき叔父に連れられ[[ちょうあん|長安]]に入る。<br>
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 13歳のとき叔父に連れられ[[ちょうあん|長安]]に入る。<br>
[[こんごうち|金剛智]]について出家[[じゅかい|受戒]]し、主として『[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]』系統の[[みっきょう|密教]]を学ぶ。
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 [[こんごうち|金剛智]]について出家[[じゅかい|受戒]]し、主として『[[こんごうちょうきょう|金剛頂経]]』系統の[[みっきょう|密教]]を学ぶ。
  
金剛智の滅後、自らインドに赴き、経論500余部を持ち帰り、多数の密教経典を翻訳するかたわら、玄宗(げんそう)((在位)712-756)、粛宗(しゅくそう)((在位)756-762)、代宗(だいそう)((在位)762-779)3代の帝の厚い信頼を得て、護国の宗教として密教を特色づけ、中国社会に密教を定着させるのに大きな役割を果たした。
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 金剛智の滅後、自らインドに赴き、経論500余部を持ち帰り、多数の密教経典を翻訳するかたわら、玄宗(げんそう)((在位)712-756)、粛宗(しゅくそう)((在位)756-762)、代宗(だいそう)((在位)762-779)3代の帝の厚い信頼を得て、護国の宗教として密教を特色づけ、中国社会に密教を定着させるのに大きな役割を果たした。
  
金剛頂経系の第1番目の経典にあたる『真実摂経(しんじつしょうきょう)』と、第6番目にあたるとされる『[[りしゅきょう|理趣経]]』など日本密教で重要な役割を果たした密教経典を数多く翻訳した。[[けいか|恵果]]の師にあたり、[[くうかい|空海]]も不空に厚く私淑している。
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 金剛頂経系の第1番目の経典にあたる『真実摂経(しんじつしょうきょう)』と、第6番目にあたるとされる『[[りしゅきょう|理趣経]]』など日本密教で重要な役割を果たした密教経典を数多く翻訳した。[[けいか|恵果]]の師にあたり、[[くうかい|空海]]も不空に厚く私淑している。<br>
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 翻訳家としても[[らじゅう|羅什]]・[[しんだい|真諦]]・[[げんじょう|玄弉]]と並び称せられ,サンスクリットと漢字との厳密な音顔の対応組織を砿立した功は大きい。

2022年12月12日 (月) 12:58時点における最新版

不空

amoghavajra (S) 「不空金剛」が具名。
 705年 - 774年。北インドの婆羅門系の父と、康国(サマルカンド地方)人の母との間で、西域に生まれる。真言宗の付法(ふほう)の第6祖、伝持(でんじ)の第4祖。

 13歳のとき叔父に連れられ長安に入る。
 金剛智について出家受戒し、主として『金剛頂経』系統の密教を学ぶ。

 金剛智の滅後、自らインドに赴き、経論500余部を持ち帰り、多数の密教経典を翻訳するかたわら、玄宗(げんそう)((在位)712-756)、粛宗(しゅくそう)((在位)756-762)、代宗(だいそう)((在位)762-779)3代の帝の厚い信頼を得て、護国の宗教として密教を特色づけ、中国社会に密教を定着させるのに大きな役割を果たした。

 金剛頂経系の第1番目の経典にあたる『真実摂経(しんじつしょうきょう)』と、第6番目にあたるとされる『理趣経』など日本密教で重要な役割を果たした密教経典を数多く翻訳した。恵果の師にあたり、空海も不空に厚く私淑している。
 翻訳家としても羅什真諦玄弉と並び称せられ,サンスクリットと漢字との厳密な音顔の対応組織を砿立した功は大きい。