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もとは太陽の意で、仏智の広大無辺なことの象徴とし、華厳教の本尊。即ち、無量劫海に功徳を修して[[しょうがく|正覚]]を取り、蓮華蔵世界の教主、千葉蓮華に坐し、右手は[[せむいいん|施無畏印]]、左手を[[よがんいん|与願印]]とする奈良大仏である。<br> | もとは太陽の意で、仏智の広大無辺なことの象徴とし、華厳教の本尊。即ち、無量劫海に功徳を修して[[しょうがく|正覚]]を取り、蓮華蔵世界の教主、千葉蓮華に坐し、右手は[[せむいいん|施無畏印]]、左手を[[よがんいん|与願印]]とする奈良大仏である。<br> | ||
[[けごんきょう|華厳経]]・[[ぼんもうきょう|梵網経]]に説く。法相宗では盧舎那・釈迦仏を[[じゅゆうしん|受用]]・[[へんげしん|変化]]二身とし、毘盧舎那仏を自性身として区別し,天台宗では毘盧舎那仏・盧舎那仏・釈迦仏を、[[ほっしん|法身]]・[[ほうじん|報身]]・[[おうじん|応身]]の[[さんしん|三身]]に配して究竟の妙境に顕現するを毘盧舎那仏とする。密教では[[だいにちにょらい|大日如来]]と同体とする。 | [[けごんきょう|華厳経]]・[[ぼんもうきょう|梵網経]]に説く。法相宗では盧舎那・釈迦仏を[[じゅゆうしん|受用]]・[[へんげしん|変化]]二身とし、毘盧舎那仏を自性身として区別し,天台宗では毘盧舎那仏・盧舎那仏・釈迦仏を、[[ほっしん|法身]]・[[ほうじん|報身]]・[[おうじん|応身]]の[[さんしん|三身]]に配して究竟の妙境に顕現するを毘盧舎那仏とする。密教では[[だいにちにょらい|大日如来]]と同体とする。 |
2023年5月26日 (金) 16:45時点における最新版
毘盧遮那(佛)
Vairocana (S)、毘盧舎那とも書く。訳は光明遍照・遍一切処
もとは太陽の意で、仏智の広大無辺なことの象徴とし、華厳教の本尊。即ち、無量劫海に功徳を修して正覚を取り、蓮華蔵世界の教主、千葉蓮華に坐し、右手は施無畏印、左手を与願印とする奈良大仏である。
華厳経・梵網経に説く。法相宗では盧舎那・釈迦仏を受用・変化二身とし、毘盧舎那仏を自性身として区別し,天台宗では毘盧舎那仏・盧舎那仏・釈迦仏を、法身・報身・応身の三身に配して究竟の妙境に顕現するを毘盧舎那仏とする。密教では大日如来と同体とする。