「さんじょうじゅ」の版間の差分
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[[じょうどしんしゅう|浄土真宗]]では、真実信心を得た者を'''[[しょうじょうじゅ|正定聚]]'''、自力の善によって往生しようとする第十九願の人を'''[[じゃじょうじゅ|邪定聚]]'''、自力の念仏にはげむ第二十願の人を'''[[ふじょうじゅ|不定聚]]'''と呼んでいる。 | [[じょうどしんしゅう|浄土真宗]]では、真実信心を得た者を'''[[しょうじょうじゅ|正定聚]]'''、自力の善によって往生しようとする第十九願の人を'''[[じゃじょうじゅ|邪定聚]]'''、自力の念仏にはげむ第二十願の人を'''[[ふじょうじゅ|不定聚]]'''と呼んでいる。 |
2023年8月16日 (水) 11:12時点における最新版
三定聚
悟りの修行から、あるいは往生の道から、人(機)すなわち修行する人々の精神的素質を3種に分類したもので、正定聚、邪定聚、不定聚をいう。
一般に正定聚とは、必ず悟りを得ることに定まった者、邪定聚とは、必ず地獄に堕(お)ちる者、不定聚とは、いずれにも定まっていない者のことである。
『釋摩訶衍論』には、次の三種の解釈を挙げている。
- 十信前を邪定聚と名づける。業の果報を信じられない等の故に。三賢及び十聖を正定聚と名づける。安立を決定して位から退かざる故に。十種信心を不定聚と名づける。進むも或ひは退くも未だ決定しない故に。
- 十信前并びに十信心の名を邪定聚とする。皆善根がない故に。無上大覺果の名を正定聚とする。已に滿足する故に。三賢及び十聖の名を不定聚とする。皆未だ究竟せざる故に。
- 十信前の名を邪定聚となす。求心を楽わざる故に。十聖の名を正定聚となす。已に眞證を得るが故に。十信・三賢の名を不定聚となす。未だ正證を得ざるが故に。〔T32 p.596〕
仏典において定型化した形では
- 正性定聚 samyaktva-niyata-rāśi
- 邪性定聚 mithyātva-niyata-rāśi
- 不定聚 aniyata-rāśi
となっている。
梵文『無量寿経』には後の2つは現われないし、形も少し違っていて、定型化する以前の古い形のものである。多少の違いはあるにしても、根本的にはもはや幸あるところという世界に生まれるに決定しているような精神状態を「正定聚」としている。
浄土真宗では、真実信心を得た者を正定聚、自力の善によって往生しようとする第十九願の人を邪定聚、自力の念仏にはげむ第二十願の人を不定聚と呼んでいる。