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'''大衆部'''系は主として中インドから南インドに広まったが、概して勢力は小さかった。大衆部は、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]([[じょうざぶ|上座部]]系)から分裂した[[きょうりょうぶ|経量部]]と共に「現在有体・過未無体」を主張し、説一切有部の「三世実有・法体恒有」の説と対立した。 | '''大衆部'''系は主として中インドから南インドに広まったが、概して勢力は小さかった。大衆部は、[[せついっさいうぶ|説一切有部]]([[じょうざぶ|上座部]]系)から分裂した[[きょうりょうぶ|経量部]]と共に「現在有体・過未無体」を主張し、説一切有部の「三世実有・法体恒有」の説と対立した。 |
2023年11月7日 (火) 15:30時点における最新版
大衆部
Mahāsāńghika(S)
釈尊の没後100年ほど後、律の解釈などで意見が対立し、教団は保守的な上座部と進歩的な大衆部とに根本分裂して「部派仏教」の時代に入った。その後、教団はさらに枝末分裂を繰り返すが、大衆部からは一説部・説出世部・鶏胤部・多聞部・説仮部・制多山部などに分かれた。
大衆部系は主として中インドから南インドに広まったが、概して勢力は小さかった。大衆部は、説一切有部(上座部系)から分裂した経量部と共に「現在有体・過未無体」を主張し、説一切有部の「三世実有・法体恒有」の説と対立した。