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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

説假部

(S) prajñāpti-vādin、(P) paññatti-vādā、(T) brtags-par smra-baḥi sde。施説論部、假説部などとも書く。

 小乗20部の一。『異部宗輪論』に

 次に後此の二百年に於て大衆部中より更に一部を出す。説假部と名づく。

と言われている。しかし、南伝『論事』には此の部の名を掲げない。
 また『島史』やチベット所伝の『bhavya』の第3説には「鶏胤部」からの分派としている。

 説仮部に関しては『三論玄義』に引かれている『部執異論疏』に

 大迦旋延は佛在世に論を作りて分別し解説す。佛滅後二百年中に大迦旋延は阿耨達池より摩訶陀国に至り、大衆部の中に来至して三蔵聖教を分別し、此れは是れ佛假名の説なり、此れは是れ佛眞實の説なり。此れは是れ眞諦なり、此れは俗諦なり、此れは是れ因果なりと明かせり。大衆部の中に迦旋延の所説を信受する者あり、各一部を成し、分別説部と名づく。分別説部は即ち大迦旋延の弟子なり。

とある。所立の義については『異部宗輪論』に

 其の説假部の本宗同義は謂くに非ず、十二処は眞實に非ず。諸行相待し展轉和合するを假に名づけて苦となす、士夫のなし。非時の死なし、先業所得の業増長を因となして異熟果轉ずることあり。に由るが故に聖道を得、道は修すべからず。道は壊すべからず。余義は多く大衆部の執に同じ。

と言っている。
 この中で7種の義を立てている。

  1. 苦は逼迫の義であるが、蘊のは逼迫に非ざるが故に、苦は蘊に非ず。
  2. 所依および所縁は積聚なり、積聚の法はみな非實にして假なるが故に十二処は眞實に非ず。
  3. 諸行相待して展轉和合するを假に名づけて苦となし、現在士夫の用に由りて苦あるに非ず。
  4. 非時の死もみな先業に由る。横縁を行ぜしが故に今方に横死す。先業なくして今横に果あるに非ず。
  5. 唯業の殊勝によりて方に能く果を感ず、得等の余法は異熟を招かず。必ず業の苦悩によりて果を得する時、其の相用増長して異熟因となり方に果を感ず、即ち業増長して因となりて異熟果轉ずることあり。
  6. 現に加行道を修するものあるも聖を得すること能わず、故に聖道は修成すべからず、但だ持戒布施等の福に由りて之を得すべきものなるを知る。
  7. 一たび聖道を得ば、道は性相常住にして刹那滅なきが故に壊すべからず、となす。

 『法華経玄賛』第一本等には、このような法をもって、小乗6宗の中の第4現通仮実宗としている。