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+ | [[びばしゃな|毘鉢舎那]]とならんでヨーガ(yoga [[ゆが|瑜伽]])を構成する2つの要素の一つ。特に〈[[ゆいしき|唯識]]〉が重要視する修行法で、'''奢摩他'''と'''[[びばしゃな|毘鉢舎那]]'''(止と観)によって表層心と深層心とが浄化されて[[げだつ|解脱]]することを強調する。たとえば『解深密経』で | ||
+ | 衆生は相の為に縛せられ、及び[[そじゅう|麁重]]の為に縛せらるる。要ず[[しかん|止観]]を勤修せよ、爾れば乃ち解脱を得ん。〔『解深密経』1、T16-691b〕 | ||
+ | と説かれる。内的な心が静まったありようであるから内心をつけて「内心奢摩他」と呼ぶ場合がある。 | ||
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+ | cf. [[しんじゅう|心住]]、[[びばしゃな|毘鉢舎那]] | ||
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+ | : 於如所善思惟法、独処空閑、作意思惟。復即於此、能思惟心内心相続作意思惟、如是正行多安住故、起身軽安及心軽安、是名'''奢摩他'''。〔『解深密経』3,T16-698a〕 | ||
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+ | : '''奢摩他'''者、謂、九種住心及箸摩他品所摂諸法。謂、於自他若衰若盛可厭患法、心生厭離驚恐悪賎、安住寂静。〔『瑜伽師地論』11、T30-330b〕 | ||
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+ | : '''奢摩他'''者、謂、於内摂心、令住・等住・安住・近住・調順・寂静・最極寂静・専注一趣・平等摂持。如是九行令安住、是奢摩他。〔『雑集論』10、T31-741b〕 |
2023年12月2日 (土) 20:17時点における最新版
奢摩他
śamathaの音写。「止」と意訳する。
「内住・等住・安住・近住・調順・寂静・最極寂静・専注一趣・等持」の9つの心のありよう(行相)をもって心のなかに住し、心が静まった状態をいう。
毘鉢舎那とならんでヨーガ(yoga 瑜伽)を構成する2つの要素の一つ。特に〈唯識〉が重要視する修行法で、奢摩他と毘鉢舎那(止と観)によって表層心と深層心とが浄化されて解脱することを強調する。たとえば『解深密経』で
衆生は相の為に縛せられ、及び麁重の為に縛せらるる。要ず止観を勤修せよ、爾れば乃ち解脱を得ん。〔『解深密経』1、T16-691b〕
と説かれる。内的な心が静まったありようであるから内心をつけて「内心奢摩他」と呼ぶ場合がある。
- 於如所善思惟法、独処空閑、作意思惟。復即於此、能思惟心内心相続作意思惟、如是正行多安住故、起身軽安及心軽安、是名奢摩他。〔『解深密経』3,T16-698a〕
- 奢摩他者、謂、九種住心及箸摩他品所摂諸法。謂、於自他若衰若盛可厭患法、心生厭離驚恐悪賎、安住寂静。〔『瑜伽師地論』11、T30-330b〕
- 奢摩他者、謂、於内摂心、令住・等住・安住・近住・調順・寂静・最極寂静・専注一趣・平等摂持。如是九行令安住、是奢摩他。〔『雑集論』10、T31-741b〕