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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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sautraantika सौत्रान्तिक (skt.)
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<big>Sautrāntika</big> सौत्रान्तिक (skt.)
  
[[ぶはぶっきょう|部派仏教]]の一派。[[きょうてん|経典]]を[[りょう|量]](判断根拠)とする学派、という意味の名前である。部派の中でももっとも有力な[[せついっさいうぶ|説一切有部]]から分かれ、説一切有部が『[[ほっちろん|発智論]]』などを中心とする論書を重視するのに対して、経典を重視する立場をとった。
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 [[ぶはぶっきょう|部派仏教]]の一派。[[きょうてん|経典]]を[[りょう|量]](判断根拠)とする学派、という意味の名前である。部派の中でももっとも有力な[[せついっさいうぶ|説一切有部]]から仏滅後400年に分かれ、説一切有部が『[[ほっちろん|発智論]]』などを中心とする論書を重視するのに対して、経典を重視する立場をとった。
  
紀元2世紀以降、クマーララータ(kumaaralaata 童受(どうじゅ))を祖とする説があるが、不明である。
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 紀元2世紀以降、クマーララータ(Kumāralāta 童受(どうじゅ))を祖とする説があるが、不明である。
  
説一切有部の説の幾つかを修正し、なかでも[[さんぜじつう|三世実有]]説に対して、現在有体・過未無体、つまり[[ほう|法]]は現在世のみ実在するという説などを主張した。4-5世紀の[[せしん|世親]]は、説一切有部によって『[[くしゃろん|倶舎論]]』の[[げ|偈]]を著し、のち'''経量部'''に移ってその注釈文にそれを反映させて、さらに[[だいじょう|大乗]]に転向し、[[ゆいしき|唯識]]説を完成させたので、経量部は有部の批判者として、唯識説との近縁について、注目されている。
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 説一切有部の説の幾つかを修正し、なかでも[[さんぜじつう|三世実有]]説に対して、現在有体・過未無体、つまり[[ほう|法]]は現在世のみ実在するという説などを主張した。4-5世紀の[[せしん|世親]]は、説一切有部によって『[[くしゃろん|倶舎論]]』の[[げ|偈]]を著し、のち'''経量部'''に移ってその注釈文にそれを反映させて、さらに[[だいじょう|大乗]]に転向し、[[ゆいしき|唯識]]説を完成させたので、経量部は有部の批判者として、唯識説との近縁について、注目されている。
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 経量部は、非連続の連続という相続説と、仏教古来の無常説とをうまく両立させるのに努力し、新しい説を唱えた。漢訳でいえば、相続[[てんぺん|転変]][[しゃべつ|差別]]と想定する。非連続の連続が特殊な変化発現によって成立するという。<br>
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 心は刹那滅だとするのは、説一切有部と同じだが、ある刹那の心がはたらきを起こすと、それはただちに潜在的ななにものかに変化する。この潜在的ななにものかを[[しゅうじ|種子]]という。そして、心のはたらきが種子として植えつけられることを[[くんじゅう|薫習]]という。説一切有部では、つぎに生ずる心のありようの根拠がはっきりしないが、経量部はそこをはっきりさる。すなわち、つぎに生ずる心のありようは、前の心に植えつけられた種子によってきまるとする。種子が変化発現([[てんぺん|転変]])して、つぎの心を成立させる。つぎの心を成立させることを[[げんじょう|現成]]という。<br>
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 順を追っていうと、種子が転変してつぎの心を現成し、その心のはたらきがまた新たに種子を黛習し、その種子が、という説明になる。前の種子は、つぎの心へと転変して現成するから、つぎの心が生じたときには消えてなくなる。<br>
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 種子が芽生えて成体としての植物となり、それが種子を残して枯れる。残った種子がまた芽生えて、というふうに考えればよい。薫習、種子、転変、現成、これらを、心は、永遠の昔から永遠の未来に向かって繰り返す、これが経両部の主張である。<br>
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 これだと、世界を構成する原子的単位である法も、過去や未来に実在するのではなく、ただ現在のこの一刹那に実在するのみということになるから、説一切有部のように、法は常住だとすることがなく、仏教古来の無常説とも矛盾をきたさない。漢訳の表現でいえば、説一切有部は「三世実有、法体恒有」となるのに対して、経量部では「現在有体、過未無体」となる。これによって、経量部は、無我を説くなかで、因果応報説と無常説とを両立させた。<br>
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 4、5世紀あたりに活躍した世親(ヴァスバンドゥ)は、簡潔な詩節と自註よりなる『阿毘達磨倶舎論』という、説一切有部の術語体系を解説する有名な作品を著し、説一切有部の説を、経量部の説によってかなり鋭く批判している。
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 此師唯依<sub>レ</sub>経為<sub>2</sub>正量<sub>1</sub>。不<sub>レ</sub>依<sub>2</sub>律及対法<sub>1</sub>。凡所<sub>2</sub>援拠<sub>1</sub>。以<sub>レ</sub>経為<sub>レ</sub>証。即経部師<sup>ナリ</sup>。〔異部宗輪論述記〕
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 経を以て量と為せば経部と名づく。〔唐の普光『倶舎論記』2、T41. 35c〕〔窺基『成唯識論述記』4本、T43.358b〕
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 サーウトラーンティカとは何者か。スートラ(経典)を正しい知識手段の基準とし、シャーストラ(論書)を正しい知識手段の基準としない人々がサーウトラーンティヵである(kaḥ sautrāntikārthaḥ. ye sūtraprāprāmāṇikā na śāstraprāmāḥikāḥ. te sautrāntikāḥ.)〔ヤショーミトラYaśomitra『倶舎論註』''Sphuțārthā Abhidharmakośavyākhyā''〕

2024年9月1日 (日) 15:44時点における最新版

経量部

Sautrāntika सौत्रान्तिक (skt.)

 部派仏教の一派。経典(判断根拠)とする学派、という意味の名前である。部派の中でももっとも有力な説一切有部から仏滅後400年に分かれ、説一切有部が『発智論』などを中心とする論書を重視するのに対して、経典を重視する立場をとった。

 紀元2世紀以降、クマーララータ(Kumāralāta 童受(どうじゅ))を祖とする説があるが、不明である。

 説一切有部の説の幾つかを修正し、なかでも三世実有説に対して、現在有体・過未無体、つまりは現在世のみ実在するという説などを主張した。4-5世紀の世親は、説一切有部によって『倶舎論』のを著し、のち経量部に移ってその注釈文にそれを反映させて、さらに大乗に転向し、唯識説を完成させたので、経量部は有部の批判者として、唯識説との近縁について、注目されている。

 経量部は、非連続の連続という相続説と、仏教古来の無常説とをうまく両立させるのに努力し、新しい説を唱えた。漢訳でいえば、相続転変差別と想定する。非連続の連続が特殊な変化発現によって成立するという。
 心は刹那滅だとするのは、説一切有部と同じだが、ある刹那の心がはたらきを起こすと、それはただちに潜在的ななにものかに変化する。この潜在的ななにものかを種子という。そして、心のはたらきが種子として植えつけられることを薫習という。説一切有部では、つぎに生ずる心のありようの根拠がはっきりしないが、経量部はそこをはっきりさる。すなわち、つぎに生ずる心のありようは、前の心に植えつけられた種子によってきまるとする。種子が変化発現(転変)して、つぎの心を成立させる。つぎの心を成立させることを現成という。
 順を追っていうと、種子が転変してつぎの心を現成し、その心のはたらきがまた新たに種子を黛習し、その種子が、という説明になる。前の種子は、つぎの心へと転変して現成するから、つぎの心が生じたときには消えてなくなる。
 種子が芽生えて成体としての植物となり、それが種子を残して枯れる。残った種子がまた芽生えて、というふうに考えればよい。薫習、種子、転変、現成、これらを、心は、永遠の昔から永遠の未来に向かって繰り返す、これが経両部の主張である。
 これだと、世界を構成する原子的単位である法も、過去や未来に実在するのではなく、ただ現在のこの一刹那に実在するのみということになるから、説一切有部のように、法は常住だとすることがなく、仏教古来の無常説とも矛盾をきたさない。漢訳の表現でいえば、説一切有部は「三世実有、法体恒有」となるのに対して、経量部では「現在有体、過未無体」となる。これによって、経量部は、無我を説くなかで、因果応報説と無常説とを両立させた。
 4、5世紀あたりに活躍した世親(ヴァスバンドゥ)は、簡潔な詩節と自註よりなる『阿毘達磨倶舎論』という、説一切有部の術語体系を解説する有名な作品を著し、説一切有部の説を、経量部の説によってかなり鋭く批判している。

 此師唯依経為2正量1。不2律及対法1。凡所2援拠1。以経為証。即経部師ナリ。〔異部宗輪論述記〕
 経を以て量と為せば経部と名づく。〔唐の普光『倶舎論記』2、T41. 35c〕〔窺基『成唯識論述記』4本、T43.358b〕
 サーウトラーンティカとは何者か。スートラ(経典)を正しい知識手段の基準とし、シャーストラ(論書)を正しい知識手段の基準としない人々がサーウトラーンティヵである(kaḥ sautrāntikārthaḥ. ye sūtraprāprāmāṇikā na śāstraprāmāḥikāḥ. te sautrāntikāḥ.)〔ヤショーミトラYaśomitra『倶舎論註』Sphuțārthā Abhidharmakośavyākhyā