「あびばっち」の版間の差分
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原語は「退転しない」「退歩しない」という意味。 | 原語は「退転しない」「退歩しない」という意味。 | ||
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菩薩の階位([[ごじゅうにい|五十二位]])では、十住のうちの第七住を「不退位」と称するが、不退を得る位については経論や宗派によって説が異なる。「不退地」というのも同じ意味である。 | 菩薩の階位([[ごじゅうにい|五十二位]])では、十住のうちの第七住を「不退位」と称するが、不退を得る位については経論や宗派によって説が異なる。「不退地」というのも同じ意味である。 | ||
− | : | + | :謹んで案ずるに、竜樹菩薩の十住毘婆沙にいわく、菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり。 |
+ | :難行道とはいわく、五濁の世・無仏の時において、阿毘跋致を求むるを難とす。<small>(中略)</small>たとえば陸路の歩行はすなわち苦しきがごとし。 | ||
+ | :易行道とはいわく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生ぜんと願ずれば、仏の願力に乗じてすなわち彼の清浄の土に往生することを得、仏力住持してすなわち大乗正定の聚に入る。正定とはすなわちこれ阿毘跋致なり。たとえば水路の乗船はすなわち楽しきがごとし。〔『論註』、T40, 826a-b〕 | ||
− | + | またいはく、「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもつて疾く[[あゆいおっち|阿惟越致]]に至るものあり。<small>{乃至}</small>〈もし人疾く[[ふたいてん|不退転]]地に至らんと欲はば、恭敬の心をもつて執持して名号を称すべし〉。もし菩薩、この身において阿惟越致地に至ることを得、[[あのくたらさんみゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提]]を成らんと欲はば、まさにこの十方諸仏を念ずべし。[[みょうごう|名号]]を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」のなかに説くがごとしと。<small>{乃至}</small>〈西方に善世界の仏を無量明と号す。身光智慧あきらかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことあるものは、すなはち不退転を得と。 〔[[きょうぎょうしんしょう|教行信証]] p.151〕 | |
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+ | 若し是の二(声聞・辟支仏)地を過ぐれば、諸法の不生不滅を知る。即ち是れ阿毘跋致地なり。阿毘跋致地に住して、衆生を教化し、仏世界を浄む、是れを能く仏道を浄むと為す。 〔[[だいちどろん|大智度論]]巻36 T25-323a〕 |
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阿毘跋致
avinivartanīya, avaivartika に相当する音写
阿鞞跋致、阿惟越致などとも音写され、「不退転」「無退」などと漢訳される。
原語は「退転しない」「退歩しない」という意味。
修行者が一定の階位に達すると、二度と欲に染まったり、迷いに苦しめられる状態に後退することのなくなった堅固な心の状態を説明する。
将来、仏陀となることが約束されて、決して迷いの世界に退転することがない菩薩の心のあり方を指す。
菩薩の階位(五十二位)では、十住のうちの第七住を「不退位」と称するが、不退を得る位については経論や宗派によって説が異なる。「不退地」というのも同じ意味である。
- 謹んで案ずるに、竜樹菩薩の十住毘婆沙にいわく、菩薩、阿毘跋致を求むるに二種の道あり。一には難行道、二には易行道なり。
- 難行道とはいわく、五濁の世・無仏の時において、阿毘跋致を求むるを難とす。(中略)たとえば陸路の歩行はすなわち苦しきがごとし。
- 易行道とはいわく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生ぜんと願ずれば、仏の願力に乗じてすなわち彼の清浄の土に往生することを得、仏力住持してすなわち大乗正定の聚に入る。正定とはすなわちこれ阿毘跋致なり。たとえば水路の乗船はすなわち楽しきがごとし。〔『論註』、T40, 826a-b〕
またいはく、「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。{乃至}〈もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもつて執持して名号を称すべし〉。もし菩薩、この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲はば、まさにこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」のなかに説くがごとしと。{乃至}〈西方に善世界の仏を無量明と号す。身光智慧あきらかにして、照らすところ辺際なし。それ名を聞くことあるものは、すなはち不退転を得と。 〔教行信証 p.151〕
若し是の二(声聞・辟支仏)地を過ぐれば、諸法の不生不滅を知る。即ち是れ阿毘跋致地なり。阿毘跋致地に住して、衆生を教化し、仏世界を浄む、是れを能く仏道を浄むと為す。 〔大智度論巻36 T25-323a〕