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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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[[りゅうじゅ|龍樹]]の主著。元のサンスクリット語での書名は『中についての頌』という意味で、その第24章「聖諦の考察」第18頌の
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:縁起であるところのもの、それをわれわれは[[くうしょう|空性]]であると呼ぶ、その空性は「素材に基づいて認識上設定すること([[け|仮]]、[[せせつ|施設]])」であり、空性はそのまま「中の実践[[ちゅうどう|中道]]」である<br>
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からきている。すなわち『中論』は「縁起・空性・仮」の在りかたを明らかにして、「中の実践」を課題とする論書ということである。
  
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===構成===
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全体は、すべてのものは独立的には生じない(不生(ふしよう))を説明する「ものの生起条件(縁)の考察」を始めとする27章により構成されている。物事を固定的・実体的に把握しがちな言語・観念が[[ぼんのう|煩悩]]の根源となっているとする観点から、言語・観念の内含する矛盾を徹底的に指摘していくという論法がとられる。これは「空性はすべての固定的な考え方から離れること」だからであり、そのために帰謬(きびゅう)論証的な表現形式が多用される。
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===注釈書===
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*龍樹に帰せられる[[むい|無畏]]注
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*[[しょうもく|青目]](piNgala,4世紀)の漢訳『中論』([[くまらじゅう|鳩摩羅什]]訳)
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*[[ぶつご|仏護]](buddhapaalita,470-540(頃))の『仏護注』
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*[[しょうべん|清弁]](490-570(頃))の『般若灯論』(はんにゃとうろん)
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*[[げっしょう|月称]](candrakiirti,650(頃))の『浄明句論』(じょうみょうくろん)
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など

2005年5月20日 (金) 02:38時点における版

中論

madhyamaka-kaarikaa मध्यमककारिका (skt.)

龍樹の主著。元のサンスクリット語での書名は『中についての頌』という意味で、その第24章「聖諦の考察」第18頌の

縁起であるところのもの、それをわれわれは空性であると呼ぶ、その空性は「素材に基づいて認識上設定すること(施設)」であり、空性はそのまま「中の実践中道」である

からきている。すなわち『中論』は「縁起・空性・仮」の在りかたを明らかにして、「中の実践」を課題とする論書ということである。

構成

全体は、すべてのものは独立的には生じない(不生(ふしよう))を説明する「ものの生起条件(縁)の考察」を始めとする27章により構成されている。物事を固定的・実体的に把握しがちな言語・観念が煩悩の根源となっているとする観点から、言語・観念の内含する矛盾を徹底的に指摘していくという論法がとられる。これは「空性はすべての固定的な考え方から離れること」だからであり、そのために帰謬(きびゅう)論証的な表現形式が多用される。


注釈書

  • 龍樹に帰せられる無畏
  • 青目(piNgala,4世紀)の漢訳『中論』(鳩摩羅什訳)
  • 仏護(buddhapaalita,470-540(頃))の『仏護注』
  • 清弁(490-570(頃))の『般若灯論』(はんにゃとうろん)
  • 月称(candrakiirti,650(頃))の『浄明句論』(じょうみょうくろん)

など