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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(不断念仏)
 
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 [[えんにん|円仁]]が、[[ごだいさん|五台山]]の[[ほっしょう|法照]]の[[ねんぶつざんまい|念仏三昧]]法を[[ひえいざん|比叡山]]に伝えたとされる修行法である。<br>
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 [[えんにん|円仁]]が、[[ごだいさん|五台山]]の[[ほうしょう|法照]]の[[ねんぶつざんまい|念仏三昧]]法を[[ひえいざん|比叡山]]に伝えたとされる修行法である。<br>
 
 一定の期間の間、僧侶が交替で四六時中絶えることなく[[あみだきょう|阿弥陀経]]を[[どくじゅ|読誦]]し、阿弥陀仏を念じながら[[ぎょうどう|行道]]する修法である。[[ししゅざんまい|四種三昧]]では[[じょうぎょうざんまい|常行三昧]]に相当する。
 
 一定の期間の間、僧侶が交替で四六時中絶えることなく[[あみだきょう|阿弥陀経]]を[[どくじゅ|読誦]]し、阿弥陀仏を念じながら[[ぎょうどう|行道]]する修法である。[[ししゅざんまい|四種三昧]]では[[じょうぎょうざんまい|常行三昧]]に相当する。
 
 円仁の没後、遺告(ゆいごう)によって相応らが貞観7年(865)より比叡山[[とうとう|東塔]]の常行三昧堂で行なったとされ、続いて[[さいとう|西塔]]・[[よかわ|横川]]の常行堂でも行われ、やがて山外の諸寺に広まっていった。
 
 円仁の没後、遺告(ゆいごう)によって相応らが貞観7年(865)より比叡山[[とうとう|東塔]]の常行三昧堂で行なったとされ、続いて[[さいとう|西塔]]・[[よかわ|横川]]の常行堂でも行われ、やがて山外の諸寺に広まっていった。

2007年12月4日 (火) 10:35時点における最新版

不断念仏

 円仁が、五台山法照念仏三昧法を比叡山に伝えたとされる修行法である。
 一定の期間の間、僧侶が交替で四六時中絶えることなく阿弥陀経読誦し、阿弥陀仏を念じながら行道する修法である。四種三昧では常行三昧に相当する。  円仁の没後、遺告(ゆいごう)によって相応らが貞観7年(865)より比叡山東塔の常行三昧堂で行なったとされ、続いて西塔横川の常行堂でも行われ、やがて山外の諸寺に広まっていった。

 期日は、比叡山の不断念仏は陰暦8月11日から17日までの7日間であったが、他ではそれに限らず、期間も3日程度から時には21日ないし90日の長期にわたる場合もあった。

不断経

 「不断経」は不断念仏に似て非なるもので、阿弥陀経に限らず、法華経の不断経、薬師経の不断経などと言って、一定期間中、僧侶が交替で昼夜絶えず諸経を読誦するものをいう。経典読誦の功徳によって滅罪往生、諸願成就(じょうじゅ)をはかるもので、追善供養、安産祈願、来世往生などのために行われることが多かった。