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− | [[げんしぶっきょう|原始仏教]]から[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]まで、広く仏教が目的とするさとりの意味で用いられる。[[さいちょう|最澄]]は、788年(延暦7)[[ひえいざん|比叡山]]に[[こんぽんちゅうどう|根本中堂]]を建立する際、 | + | [[げんしぶっきょう|原始仏教]]から[[だいじょうぶっきょう|大乗仏教]]まで、広く仏教が目的とするさとりの意味で用いられる。 |
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+ | :言佛陀者。謂畢竟斷一切煩惱并諸習氣。現等正覺阿耨多羅三藐三菩提故。 〔瑜伽師地論83、T30-765b〕 | ||
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+ | [[さいちょう|最澄]]は、788年(延暦7)[[ひえいざん|比叡山]]に[[こんぽんちゅうどう|根本中堂]]を建立する際、 | ||
:'''阿耨多羅三藐三菩提'''の仏たちわが立つ杣(そま)に[[みょうが|冥加]]あらせたまへ 〔新古今和歌集(20)〕 | :'''阿耨多羅三藐三菩提'''の仏たちわが立つ杣(そま)に[[みょうが|冥加]]あらせたまへ 〔新古今和歌集(20)〕 | ||
と詠じたという。 | と詠じたという。 | ||
:諸仏如来、ともに妙法を単伝して阿耨菩提を証するに、最上[[むい|無為]]の妙術あり 〔[[しょうぼうげんぞう|正法眼蔵]](弁道話)〕 | :諸仏如来、ともに妙法を単伝して阿耨菩提を証するに、最上[[むい|無為]]の妙術あり 〔[[しょうぼうげんぞう|正法眼蔵]](弁道話)〕 | ||
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2014年12月16日 (火) 14:47時点における版
阿耨多羅三藐三菩提
anuttaraa samyaksaMbodhiH अनुत्तरासम्यक्सँबोधिः (skt.)
無上の真実なる完全なさとりの意で、「無上正等覚」「無上正真道」「無上正遍知」などと漢訳され、また「阿耨菩提」とも略称される。
原始仏教から大乗仏教まで、広く仏教が目的とするさとりの意味で用いられる。
- 言佛陀者。謂畢竟斷一切煩惱并諸習氣。現等正覺阿耨多羅三藐三菩提故。 〔瑜伽師地論83、T30-765b〕
- 阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣(そま)に冥加あらせたまへ 〔新古今和歌集(20)〕
と詠じたという。
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