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(護法)
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 相・名・分別・正智・如如をいう。
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 インドの大乗仏教の学僧。[[ゆが|瑜伽]]行[[ゆいしきは|唯識派]]の所属で十大論師の一人。<br>
 
 インドの大乗仏教の学僧。[[ゆが|瑜伽]]行[[ゆいしきは|唯識派]]の所属で十大論師の一人。<br>
南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが、王の娘との結婚式の夕べに出家した。<br>
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 南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが、王の娘との結婚式の夕べに出家した。<br>
唯識だけでなくインド一般の学問にも通じ、ナーランダー寺に入り、ここで戒賢(シーラバドラ ziilabhadra शीलभद्र)や最勝子など多くの弟子を育成した。<br>
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 唯識だけでなくインド一般の学問にも通じ、ナーランダー寺に入り、ここで[[かいけん|戒賢]](シーラバドラ Śīlabhadra शीलभद्र)や最勝子など多くの弟子を育成した。<br>
 ほぼ同時代に[[あんね|安慧]]がおり、彼と相対峙する学説を唱えた。最近の研究においては、瑜伽行派に有相(うそう)唯識説と無相(むそう)唯識説との2系統があり、護法は前者を、安慧は後者を代表する学匠であるとみられている。特に、[[あらやしき|阿頼耶識]]には、人間に本来そなわっている[[しゅうじ|種子]]と、新たに発生する「種子」がある(新旧合生説)とする種子論、また認識は対象(相分)、主観(見分)、認知(自証分)、再確認(証自証分)の4要素の相互作用による(四分説)とする認識作用の分析が有名。<br>
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 ほぼ同時代に[[あんね|安慧]]がおり、彼と相対峙する学説を唱えた。瑜伽行派に有相(うそう)唯識説と無相(むそう)唯識説との2系統があり、'''護法'''は前者を、'''安慧'''は後者を代表する学匠であるとみられている。<br>
 彼の学説は弟子の戒賢から玄奘に伝えられ、中国で法相宗を形成した。
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 特に、[[あらやしき|阿頼耶識]]には、人間に本来そなわっている[[しゅうじ|種子]]と、新たに発生する「種子」がある(新旧合生説)とする種子論、また認識は対象(相分)、主観(見分)、認知(自証分)、再確認(証自証分)の4要素の相互作用による(四分説)とする認識作用の分析が有名。<br>
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 彼の学説は弟子の戒賢から玄奘に伝えられ、中国で[[ほっそうしゅう|法相宗]]を形成した。
  
29歳でブッダガヤー([[ぶっだがや|仏陀伽耶]])の菩提樹辺に隠棲し、32歳で世を去った。
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 29歳でブッダガヤー([[ぶっだがや|仏陀伽耶]])の菩提樹辺に隠棲し、32歳で世を去った。
  
 
====著書====
 
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2017年4月14日 (金) 19:46時点における最新版

五法

 相・名・分別・正智・如如をいう。


護法

〈530‐561年〉サンスクリットでは、ダルマパーラ Dharmapāla धर्मपाल。

 インドの大乗仏教の学僧。瑜伽唯識派の所属で十大論師の一人。
 南インドのドラビダ国に大臣の子として生まれたが、王の娘との結婚式の夕べに出家した。
 唯識だけでなくインド一般の学問にも通じ、ナーランダー寺に入り、ここで戒賢(シーラバドラ Śīlabhadra शीलभद्र)や最勝子など多くの弟子を育成した。
 ほぼ同時代に安慧がおり、彼と相対峙する学説を唱えた。瑜伽行派に有相(うそう)唯識説と無相(むそう)唯識説との2系統があり、護法は前者を、安慧は後者を代表する学匠であるとみられている。
 特に、阿頼耶識には、人間に本来そなわっている種子と、新たに発生する「種子」がある(新旧合生説)とする種子論、また認識は対象(相分)、主観(見分)、認知(自証分)、再確認(証自証分)の4要素の相互作用による(四分説)とする認識作用の分析が有名。
 彼の学説は弟子の戒賢から玄奘に伝えられ、中国で法相宗を形成した。

 29歳でブッダガヤー(仏陀伽耶)の菩提樹辺に隠棲し、32歳で世を去った。

著書

  1. 成唯識宝生論
  2. 大乗広百論釈論
  3. 観所縁論釈
  4. 成唯識論