「しゅどう」の版間の差分
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
(→修道) |
(→修道) |
||
6行目: | 6行目: | ||
[[ねはん|涅槃]]に向けて進みゆく5つの段階である五道(資糧道・加行道・見道・修道・究竟道)の一つ。くりかえし修行する段階。見道からさらに進んで諸の事相に迷う[[しゅわく|修惑]]を、漸次、断じる位。十地の最初の初地の三心(入心・住心・出心)のなかの住心から第十地の金剛喩定の無間道までをいう。修習位とおなじ | [[ねはん|涅槃]]に向けて進みゆく5つの段階である五道(資糧道・加行道・見道・修道・究竟道)の一つ。くりかえし修行する段階。見道からさらに進んで諸の事相に迷う[[しゅわく|修惑]]を、漸次、断じる位。十地の最初の初地の三心(入心・住心・出心)のなかの住心から第十地の金剛喩定の無間道までをいう。修習位とおなじ | ||
+ | : 長時相続、名為'''修道'''。多時串習、断煩悩故。〔『瑜伽師地論』29、T30-445b〕 | ||
+ | : 従初地住及出心、乃至金剛無間心位、名為'''修道'''。〔『成唯識論述記』9末、T43-556c〕 | ||
+ | ---- | ||
また一般的に、道を習得すべく努力修行することをいう。中国古典における一般的な用例としての修道(しゅうどう)の語は『中庸(ちゅうよう)』(1章)に | また一般的に、道を習得すべく努力修行することをいう。中国古典における一般的な用例としての修道(しゅうどう)の語は『中庸(ちゅうよう)』(1章)に | ||
: 道を修むる、之を教と謂う | : 道を修むる、之を教と謂う | ||
とある。 | とある。 | ||
− | |||
− | |||
− |
2018年8月5日 (日) 11:33時点における版
修道
bhāvanā-mārga (S)
仏道実践者の修行の進展程度をいう三道(見道・修道・無学道)の一つで、はじめて真理を見た段階とされる見道の次の段階。さらに具体的な事柄に対処しつつ何度も繰り返し修練し、繰り返し真理を見る段階。
涅槃に向けて進みゆく5つの段階である五道(資糧道・加行道・見道・修道・究竟道)の一つ。くりかえし修行する段階。見道からさらに進んで諸の事相に迷う修惑を、漸次、断じる位。十地の最初の初地の三心(入心・住心・出心)のなかの住心から第十地の金剛喩定の無間道までをいう。修習位とおなじ
- 長時相続、名為修道。多時串習、断煩悩故。〔『瑜伽師地論』29、T30-445b〕
- 従初地住及出心、乃至金剛無間心位、名為修道。〔『成唯識論述記』9末、T43-556c〕
また一般的に、道を習得すべく努力修行することをいう。中国古典における一般的な用例としての修道(しゅうどう)の語は『中庸(ちゅうよう)』(1章)に
- 道を修むる、之を教と謂う
とある。