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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(四向四果)
 
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 「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。向と果の名称が同じ、八種の段階にある人ということで、「四双八輩」(しそうはっぱい)ともいう。<br>
 
 「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。向と果の名称が同じ、八種の段階にある人ということで、「四双八輩」(しそうはっぱい)ともいう。<br>
 
 '''預流'''とは聖者の流れに入ることで、最大7回[[よっかい|欲界]]の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。'''一来'''とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。'''不還'''は欲界には再び還らず[[しきかい|色界]]に上って悟りに至る位。'''阿羅漢'''は今生の終りに悟り[[ねはん|涅槃]]に至り再び[[さんがい|三界]]には生れない位をいう。
 
 '''預流'''とは聖者の流れに入ることで、最大7回[[よっかい|欲界]]の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。'''一来'''とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。'''不還'''は欲界には再び還らず[[しきかい|色界]]に上って悟りに至る位。'''阿羅漢'''は今生の終りに悟り[[ねはん|涅槃]]に至り再び[[さんがい|三界]]には生れない位をいう。
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;1. 預流向:「見道」に入った聖者は、わずか15瞬間にその過程を経過し、第16瞬間にはすべての見所断の煩悩を断ちつくして「修道」に進み入る。「見道」にある15瞬間を預流向と呼ぶ。
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;2. 預流果:第16瞬間に「修道」に入ったそのとき、まだ修所断の煩悩を断ち切っていない場合、その段階を預流果、と呼ぶ。
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;3.一来向:「修道」にはいってから欲界に属する修所断の煩悩の第6品を断つ直前に至るまでの間が、一来向である。
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;4.一来果:第6品(中下の煩悩)を断ち終わった瞬間に一来果に達する。この段階で、人・天の間をただ一度往来する間にさとりに至るという。
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;5.不還向:一来果を得てから欲界の修所断の煩悩の第9品を断つ直前までを指す。
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;6.不還果:第9品(下下の煩悩)を断ち終わった瞬間、即ち欲界の修所断の煩悩を尽くし終わった瞬間、不還果に達し、その人は再び欲界に戻ることはない。
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;7.阿羅漢向:残余の色界・無色界の修所断の煩悩を断つ過程である。
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;8.阿羅漢果:全ての煩悩が断ち切られて、阿羅漢と呼ばれる最高の境地に到達する。それは生死輪廻からの訣別であり、さとりの領域への超出である。

2018年8月9日 (木) 18:00時点における最新版

四向四果

 部派仏教大衆部仏教における修行の階位で、預流向(よるこう)、預流果、一来向(いちらいこう)、一来果、不還向(ふげんこう)、不還果、阿羅漢向(あらかんこう)、阿羅漢果のことをいう。
 「向」とは修行の目標、「果」は到達した境地を示す。向と果の名称が同じ、八種の段階にある人ということで、「四双八輩」(しそうはっぱい)ともいう。
 預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。一来とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。不還は欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。阿羅漢は今生の終りに悟り涅槃に至り再び三界には生れない位をいう。

1. 預流向
「見道」に入った聖者は、わずか15瞬間にその過程を経過し、第16瞬間にはすべての見所断の煩悩を断ちつくして「修道」に進み入る。「見道」にある15瞬間を預流向と呼ぶ。
2. 預流果
第16瞬間に「修道」に入ったそのとき、まだ修所断の煩悩を断ち切っていない場合、その段階を預流果、と呼ぶ。
3.一来向
「修道」にはいってから欲界に属する修所断の煩悩の第6品を断つ直前に至るまでの間が、一来向である。
4.一来果
第6品(中下の煩悩)を断ち終わった瞬間に一来果に達する。この段階で、人・天の間をただ一度往来する間にさとりに至るという。
5.不還向
一来果を得てから欲界の修所断の煩悩の第9品を断つ直前までを指す。
6.不還果
第9品(下下の煩悩)を断ち終わった瞬間、即ち欲界の修所断の煩悩を尽くし終わった瞬間、不還果に達し、その人は再び欲界に戻ることはない。
7.阿羅漢向
残余の色界・無色界の修所断の煩悩を断つ過程である。
8.阿羅漢果
全ての煩悩が断ち切られて、阿羅漢と呼ばれる最高の境地に到達する。それは生死輪廻からの訣別であり、さとりの領域への超出である。